<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>文脈 | 文章で生きていく</title>
	<atom:link href="https://ken1shiki.xyz/tag/%E6%96%87%E8%84%88/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://ken1shiki.xyz</link>
	<description>主に小説関係の話をするかなと思うけど、基本雑多に。</description>
	<lastBuildDate>Mon, 26 Aug 2019 13:27:27 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.9.4</generator>

<image>
	<url>https://ken1shiki.xyz/wp-content/uploads/2019/05/cropped-favicon-32x32.png</url>
	<title>文脈 | 文章で生きていく</title>
	<link>https://ken1shiki.xyz</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>小説界隈、実は今も昔もそんなに変わってないんじゃないか？</title>
		<link>https://ken1shiki.xyz/%e5%b0%8f%e8%aa%ac%e7%95%8c%e9%9a%88%e3%80%81%e5%ae%9f%e3%81%af%e4%bb%8a%e3%82%82%e6%98%94%e3%82%82%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%ab%e5%a4%89%e3%82%8f%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%93/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=%25e5%25b0%258f%25e8%25aa%25ac%25e7%2595%258c%25e9%259a%2588%25e3%2580%2581%25e5%25ae%259f%25e3%2581%25af%25e4%25bb%258a%25e3%2582%2582%25e6%2598%2594%25e3%2582%2582%25e3%2581%259d%25e3%2582%2593%25e3%2581%25aa%25e3%2581%25ab%25e5%25a4%2589%25e3%2582%258f%25e3%2581%25a3%25e3%2581%25a6%25e3%2581%25aa%25e3%2581%2584%25e3%2582%2593</link>
					<comments>https://ken1shiki.xyz/%e5%b0%8f%e8%aa%ac%e7%95%8c%e9%9a%88%e3%80%81%e5%ae%9f%e3%81%af%e4%bb%8a%e3%82%82%e6%98%94%e3%82%82%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%ab%e5%a4%89%e3%82%8f%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%93/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[一式鍵]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 26 Aug 2019 13:27:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[インターフェイス]]></category>
		<category><![CDATA[コンセプト]]></category>
		<category><![CDATA[コンテクスト]]></category>
		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[文脈]]></category>
		<category><![CDATA[考え方]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://ken1shiki.xyz/?p=879</guid>

					<description><![CDATA[<p>なんか今突然思いました。小説界隈って、実は変化してないんじゃないのかと。いや、たしかに変わってるんですよ。変わってるんですが、どうにもぐるーっとループでもしてるんじゃないかと。ファッション業界と同じように。 勿論、媒体（ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e5%b0%8f%e8%aa%ac%e7%95%8c%e9%9a%88%e3%80%81%e5%ae%9f%e3%81%af%e4%bb%8a%e3%82%82%e6%98%94%e3%82%82%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%ab%e5%a4%89%e3%82%8f%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%93/">小説界隈、実は今も昔もそんなに変わってないんじゃないか？</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>なんか今突然思いました。小説界隈って、実は変化してないんじゃないのかと。いや、たしかに変わってるんですよ。変わってるんですが、どうにも<strong>ぐるーっとループでもしてるんじゃないか</strong>と。ファッション業界と同じように。</p>



<p>勿論、媒体（メディア）や方法論は変化しています。それはITの進化と共に避けられないことですし、忌避するべきことでもないので、個人的には大歓迎です。それは核戦争でも起きない限り後退することはないでしょう。例えば今、原稿用紙に万年筆で書いて、書棚にしまっておしまい……なんて人は殆どいませんよね。スマホなりPCなりポメラなり、とにかく電子機器を使って書くのが主流ですし、WEB派・公募派・どっちも派（＋趣味派）がいるにしても、何らかWEBを利用している。情報収集や広報を含めてね。</p>



<p>ただ、「小説」というのはなんて<strong>アナクロニズム</strong>に囚われているんだろうと思ったわけです。そもそも「文字」である必要ってあるのかと。「文字」→「単語」→「文」→「文脈」→「物語」となるのはわかるんです。が、いつまで電子・紙を問わず<strong>文字だけにこだわっているんだ</strong>って思ったわけです。勿論、「文字だからこそ良い」ていう文化はあります。私もそう思います。</p>



<p>が、ライトノベルが「表紙買い」「挿絵買い」されるのと同様に、またあるいは「映画」「コミカライズされたもの」から「原作」に戻ってくることもあるでしょう。これって、つまり「<strong>文字じゃなくて良い</strong>」ってことにニアリィイコールになりませんか。「文字」を読むのが目的じゃないですよね、多くの人にとっては。文字を通じた<strong><span class="marker-under">「文脈／物語」を見ることが目的</span></strong>ですよね。</p>



<p>だったら、文脈を素早く届け、物語に素早く集中できる環境を作るのってすごく大事なんじゃないかなと思ったりするわけです。それは絵だったり動画だったり音楽だったり……つまり、<strong><span class="marker-under">インターフェイス</span></strong>の工夫です。あらゆる物語の後ろには、<strong>究極的には文字で作られた世界があるわけですが</strong>、それを覆い隠し、必要な情報だけを取捨選択して出力して楽しんでもらう。実はその裏側に走っている「機械語」のようなものこそが小説という文字メディアの本懐なのではないかと思い始めてきました。例えば、シェイクスピアを小説家だと誤解している人は少なくないと思いますが、彼は西暦1600年・エリザベス一世の時代の劇作家です。舞台で演じられることを目的として文字を綴りました。もっと言えば、近代英語（Modern English）の時代ですから今とは文法や単語が違っています。が、後世、我々は「ハムレット」や「お気に召すまま」を小説のように楽んでいます。多くの人は和訳本や映画、漫画やアニメで触れたことでしょう。これらの「手段」ってインターフェイスだと思うんですね。そりゃそうですよ、モダンイングリッシュで書かれた書籍が日本で売れるかといえば、絶対に売れません。ハリー・ポッターだって原書はほぼ売れません。なぜなら「日本語で書かれているシェイクスピア作品やハリー・ポッター」があるからです。現代日本語という「インターフェイス」を持っているわけですね。あるいは例えば「ハムレット」という映画がありましたね。あれもインターフェイスです。</p>



<p>私たちはこうしてPCやスマホを使っていますが、ほとんど全員、その中でどんな言語がどんな風に動いているか、それを書いた人はどんな事を考えていたのかなんてことは考えません。私のようなプログラマは本能的に感じちゃいますけど、一般的にはないですよね。小説って、そういうものじゃないかなと。こう書くと「それはただの漫画（アニメ・映画）原作だ！」と言われてしまいますが、それで良いのでは。結果として原作になることも少なくないわけですから。</p>



<p>「文字離れ」が進んでいると言われていますが、実際はそんなことはありません（※紙媒体離れは進んでるかもしれませんが）　また、「物語」は常に求められています。たとえ世界大戦のさなかでも映画はあったわけですから、「物語」の需要が枯れる事はありません。そしてその物語を「最もコストを安く」生産できるのが「小説」というメディアなわけです。「コスト安い」というと抵抗があるかもしれませんが、「最強の金銭的・時間的な生産性」を持つ物語の製造手段が小説なわけです。それは昔から変わっていない。識字率とかまぁ色々あるし、社会的背景（小説が卑賤な文化であるとされた、など）もあるし。しかしそれにしても、共通しているのは「超低コストで物語を作れる」ということです。羊皮紙とか石版とかになるとわからんけど、印刷技術が出てきて以後はほぼ確実。そして「小説家になろう」や「カクヨム」といった小説を「超手軽に発表できるメディア」が出てきたことでそれは加速。<strong><span class="marker-under">潜在的小説家（候補）が顕在的小説家（候補）に変わったという転換点</span></strong>がこの十年くらいでおきました。</p>



<p>で、タイトルに戻るんですが。変わってないと思うんですよね。現在では新しい手法のように思われてることも、30年前には使い古されていた手段だったりしますよね。キャラクターのスキル制、レベル制なんて「フォーチュンクエスト」でとっくにやられてますし。ゲームになるとドラクエ、もっと遡ればD&amp;D（など）でとっくにそういう「物語」は出来ているんです。今はその拡大再生産を行っているだけなんじゃないかなって気がするんですよ。すごい長い、何十年というスパンで。</p>



<p>そもそも<strong>エログロラブコメなんて源氏物語の頃からあるわけです</strong>し、紫式部や清少納言の頃からの技法の再生産・当世風のアレンジ、そういうもので出来てると思うわけです私は。神話の類にしたって、日本語の文脈に限定するなら、「日本書紀」や「古事記」が大概の日本人のベースコンテクストになっているわけです、一度も読んだことがない人も多いかも知れませんが、文化的コンテクストというのはそういうものです。外国の文化の影響を受けて変化はするにしても、外国人だって人間ですから（当然）、精神性にはそんなに違いはない。キリスト教とかそういう宗教的コンテクストが入ってきたりして「目新しい」ものが目につくようにはなりました。確かに。「スキル」とか「レベル」とか外国語が入ってきたりはしています。が、「技術」「練度」という日本語に置き換えればあら不思議。戦時中くらいにまでは遡れますよね。<strong>撃墜数に応じて「猛者」と呼ばれるようになる戦闘機乗りの話なんて、完全にレベル制</strong>ですよね。</p>



<p>つまり何だっていうと、「自分の作品が新しい」と思って書いてる人って、実は単に「<strong><span class="marker-under">四角い車輪</span></strong>」を発明しているだけじゃないかと思うわけです。逆に誰かが書いた作品を指して「目新しくない」とか「流行に乗ってダサい」とか言ってる人もまた同様です。<strong>知識不足なだけ</strong>じゃないかと。近視眼的な目線と情報しか持っていないのではないかと思う次第です。</p>



<p><a href="https://ken1shiki.xyz/%e5%a4%a7%e5%88%87%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%af%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84/">前回の記事</a>の踏襲みたいになりますが、そういった「<strong>過去に使われた技術</strong>」を上手に「<strong><span class="marker-under">テンプレ化</span></strong>」出来た人が勝利するんじゃないかと思うんですね。要は「自分の作品の起源」に目を向けること。「起源の起源」を探る事。コレを繰り返していくことで、見えてくるものが出てくるのではないかと。要は「THE ORIGIN」を探るというわけですね。それと同時に、コンセプトをしっかり仕上げて、どの文脈（コンテクスト）を持ってる人をターゲットにするのかを考える。</p>



<p>極論すると、ドラクエで育ったかFFで育ったか、あるいはスクエニになってから物心ついたかで、求めてる物語の仕組みや方向って全然バラバラだと思うんです。小説にしても、「銀河英雄伝説」が好きで架空戦記系・SF系を主に嗜んだ人と、「スレイヤーズ」が好きで、ああいうドタバタコメディ的ファンタジー（異論は認める）を主に追っていた人では、持ってるコンテクストがまるで違う。どっちの人も満足させられるものって何だろうって考えると……なんかどっちつかずになりませんか。あ、例えが古いとは言わせませんよ！　前者は再アニメ化されましたし、後者は続刊出たじゃないですか！</p>



<p>ほか、例えばリアル世界での事情にしても「彼女いる（いた）人」と「彼女いたことがない人」では恋愛観・女性観が違いますし、それぞれに属している人でも「家族関係」「友人関係」などのファクターによって変わってきます。全員を満足させられる作品を作るのはほぼ不可能です。それに近いことができるのがほんの一握りの（ベストセラー）作家ということになります。</p>



<p>その差って何かと考えると「コンテクストの与え方」じゃないかなと。いかに深く素早くコンテクストをその読者の中に複写するか。それができる人がベストセラーになれる……んじゃないかな？　なったことないからわからんけど。</p>



<p>多くの「物語を求める人たち」に、「（物語を楽しむための）コンテクスト」を与えるために必要なものが「インターフェイス」、ということになるのではないかなと思う次第です。「インターフェイス」というのは「コンテクストを取り囲む全て」を指します。なので、映像や漫画もそうですが、広告や予告なんかも入ります。技術が云々は進化していないにしても、<strong><span class="marker-under">「文字にだけこだわる」のはもはやアナクロニズム</span></strong>だと、そういう時代になっているのではないかなと思うのです。</p>



<p>さて、今回の記事は参考になりましたでしょうか？</p>



<p>それでは良き執筆ライフを！</p><p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e5%b0%8f%e8%aa%ac%e7%95%8c%e9%9a%88%e3%80%81%e5%ae%9f%e3%81%af%e4%bb%8a%e3%82%82%e6%98%94%e3%82%82%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%ab%e5%a4%89%e3%82%8f%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%93/">小説界隈、実は今も昔もそんなに変わってないんじゃないか？</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://ken1shiki.xyz/%e5%b0%8f%e8%aa%ac%e7%95%8c%e9%9a%88%e3%80%81%e5%ae%9f%e3%81%af%e4%bb%8a%e3%82%82%e6%98%94%e3%82%82%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%ab%e5%a4%89%e3%82%8f%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%93/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
		<post-id xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">879</post-id>	</item>
		<item>
		<title>大切なことは言葉にならない</title>
		<link>https://ken1shiki.xyz/%e5%a4%a7%e5%88%87%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%af%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=%25e5%25a4%25a7%25e5%2588%2587%25e3%2581%25aa%25e3%2581%2593%25e3%2581%25a8%25e3%2581%25af%25e8%25a8%2580%25e8%2591%2589%25e3%2581%25ab%25e3%2581%25aa%25e3%2582%2589%25e3%2581%25aa%25e3%2581%2584</link>
					<comments>https://ken1shiki.xyz/%e5%a4%a7%e5%88%87%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%af%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[一式鍵]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 25 Aug 2019 13:54:49 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[小説投稿サイト]]></category>
		<category><![CDATA[カクヨム]]></category>
		<category><![CDATA[コンセプト]]></category>
		<category><![CDATA[コンテクスト]]></category>
		<category><![CDATA[文脈]]></category>
		<category><![CDATA[言葉]]></category>
		<category><![CDATA[語彙力]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://ken1shiki.xyz/?p=871</guid>

					<description><![CDATA[<p>タイトルは米津玄師「海の幽霊」という歌の一部なんですが。本当にいい歌なのでぜひ聞いてみてください。 さて「虐殺器官（伊藤計劃）」なんかでも言及されたりしていますが、「言葉」「文脈」というのは支配的です。 　「言葉」ってい [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e5%a4%a7%e5%88%87%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%af%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84/">大切なことは言葉にならない</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>タイトルは米津玄師「海の幽霊」という歌の一部なんですが。本当にいい歌なのでぜひ聞いてみてください。</p>



<figure class="wp-block-embed-youtube wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="米津玄師 MV「海の幽霊」Spirits of the Sea" width="1256" height="707"  data-youtube="eyJ0aXRsZSI6Ilx1N2M3M1x1NmQyNVx1NzM4NFx1NWUyYiBNVlx1MzAwY1x1NmQ3N1x1MzA2ZVx1NWU3ZFx1OTcwYVx1MzAwZFNwaXJpdHMgb2YgdGhlIFNlYSIsInZpZGVvX2lkIjoiMXM4NHJJaFB1aGsifQ==" src="https://www.youtube.com/embed/1s84rIhPuhk?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<p>さて「虐殺器官（伊藤計劃）」なんかでも言及されたりしていますが、「言葉」「文脈」というのは支配的です。</p>



<p>　「言葉」っていうのは、脳内の言語野に仕込まれたロジックを経て出力される「感情表現」なんだと思うんですよ。感情<span class="marker-under">表現</span>ですから、人によって上手いも下手もある。ここでしばしば軋轢が生まれますが、そりゃそうです。発する能力（<strong>発話能力</strong>）、受ける能力（<strong>受容能力</strong>）、それぞれに個人差がありますから。だから本来、感情を表現するだけなら、泣いたり笑ったり怒鳴ったりすればいいんですよ。そのほうがストレートに伝わる。伝えるだけならね。</p>



<p>　怒鳴ったりなんだのというような簡易な手段があるのに、わざわざロジカルな経路を経由させて「言葉」にしようとするというのはなぜか。そのロジカルな経路が破綻してしまうくらいに強烈な「感情」に支配されると、言葉を形成するためのロジック部分がうまく組み合わさらなくなって、わけわからないことを言ってしまったり、あるいは言葉にならなくなったりする。そう分かっていたとしても、そうなってしまったとしても、それでもそれをなんとか言葉にしようとするのは、「<strong><span class="marker-under">共感</span></strong>」してほしいからだと思うんですよね。</p>



<p>「<strong>言葉を捨てちゃだめだよ</strong>」、というのは、セイレネス・ロンドに出てくる（作者的に）印象的なセリフなわけですが、人は「<strong>共感</strong>」あるいは「<strong>共苦</strong>」を得るために「言葉」を使う。あるいは「感情」「苦しみ」を相手と分かち合いたいから「言葉」を使う、そんな風に思うわけなんですよね。それを捨てたらもう理解し合うことは出来ない。どんな綺麗事を言おうが、言葉を介する事なしに相互理解というのは出来ないわけです。そしてその相互理解を得るために必要な背景知識（バックグラウンド全般）こそが、「文脈（コンテクスト）」です。</p>



<p>　私ら文章書きは、ある種「言葉」に対して日々最も真摯に向き合っている種族であって、であるからこそ、「大切なこと」をどうにも言葉にしきれなくて苦悩しています。人間の持つ完璧な言葉なんて「愛してる」くらいじゃないですか？　形容詞を一つも使わないシンプルな表現、そこに「言葉」の真髄があるよなと思いつつも、それだけでは文章として成立しないのも事実。愛してる～だけでは歌詞すら成立しませんからね。だから、我々は形容詞や形容動詞や副詞をこねくりまわしてある種の妥協点（最適解とも言う）を探している。文章、あるいは文脈（コンテクスト）として成立するラインをですね。</p>



<p>　という感じで「<strong><span class="marker-blue">コンテクスト</span></strong>」の話をしたいと思います、軽く。</p>



<p>　我々は日常生活というものをコンテクストの中で送っている。コンテクスト＝文脈です、文字通りに。「言葉」によって我々は規定し、規定され、ともすれば（重たい話ですが）生死すら決められます。ただ、その「言葉」というのは「<strong>社会的コンテクストの中での言葉</strong>」にすぎず、「<strong>感情表現の一つとして共感共苦を得るための技法＝言葉</strong>」<strong>ではない</strong>。ここんところが面倒くさいところですね。ハイコンテクスト、ローコンテクストという表現は、まさにこの「社会的コンテクスト」を現しています。ゼロイチで分けると、ですね。</p>



<p>　そしてまた更に面倒くさいことに、「小説」という媒体は、その両方の意味のコンテクストに乗っかった「言葉」を使います。 「<strong>社会的コンテクスト</strong>」と「<strong>感情的コンテクスト</strong>」 の両方を巧妙に織り交ぜます。その両面を使いこなすことではじめて「物語」ができます。ちなみに社会的コンテクストに偏ると論文や実用書みたいになりますし、感情的コンテクストに偏ると歌詞のようになりますね。</p>



<p>　そして「<strong>社会的コンテクスト</strong>」を書くのは難しくない。なぜならどこまでも客観的に書けるから。情報を集めて、その情報を自分の中で完全に理解できてさえいれば、100人いれば100人に書けるでしょう。大学の卒業論文だって「社会的コンテクスト」ですから、つまり二十歳くらいになればだいたいの人の国語力で書けるんですね。ウマヘタはありますけど。</p>



<p>　その一方で「<strong>感情的コンテクスト</strong>」を書くのはもはや特殊スキルであると言っても良いでしょう。文章に偏差値があるとして偏差値70～130くらいの「ほぼ全員が入るレベル」の中の人では「感情的コンテクスト」は書けない。私はそう思っています。「面白かった」「楽しかった」「つまんなかった」「好き」「嫌い」「嬉しい」「ムカつく」「笑える」「ウケる」「しらける」「美味しかった」「不味かった」「やったー！」「ちくしょー！」「だるぃ」「学校（会社）行きたくねぇ」……<strong>普段使いの感情表現</strong>というのはだいたいこんなもんでしょうか。実際問題、その程度の表現力では小説は書けません。小学生の作文か、ってなっちゃいます（※いや、そういうレベルのノベルがあるのは事実のようですが、深くはつっこみません）。実際のところ、多くの人が文章を書くと、自分の中の「感情」をどう表現したらいいかわからなくて筆が止まります。これを語彙力の差と言ったりもします。<a href="https://ken1shiki.xyz/%e3%80%8c%e8%aa%9e%e5%bd%99%e5%8a%9b%e3%80%8d%e3%81%a3%e3%81%a6%e4%bd%95%ef%bc%9f/">語彙力云々の話はこちらでもしています</a>が、やはり文章書きならある程度は押さえておきたいものです。</p>



<p>　「感情」という<strong>無意識の発露のようなもの</strong>を「言葉」にするというのは、本当に難しいのです。そしてそれを使って「共感（共苦）してもらおう」というのは更に難しい。<strong>「言葉」を届ける相手の中にも同様の「感情的コンテクスト」がなければならない</strong>からです。小説を書く作業というのは、自分自身の「感情」を「言葉」に変換するのと同時に、相手（読者）の中に、作者の持つ「コンテクスト」を複写するということです。</p>



<p>　共通ライブラリである<span class="marker">「<strong>テンプレ</strong></span><strong><span class="marker">」</span></strong>なんかをうまく使うと、この「コンテクスト」の共有が非常に簡単になります。「中世ヨーロッパ風」といえば、<strong>「なんとなくそれっぽいもの」</strong>を思い浮かべるでしょう？　そういうことです。「テンプレ」にも是非はありますが、要は「どう使うか」なんですよ。</p>



<p>　テンプレを使わないということは、作者は読者に対して、「１から１０まで」作者の持つコンテクストをコピーしなければならないということです。純朴に朴訥に１から１０まで伝えようとしたところで、２～３くらいまででほとんどの読者は逃げてしまいます。ですから、いかにして効率よく<strong>「社会的」「感情的」コンテクスト</strong>を与える（複写する）のかが肝になります。スピーディに、少ない文字数でコンテクストを与えて共有し、その限られた範囲で「作中に出てくる感情」を「読者の脳内で再現させる」ことが大切なわけです。難しいですね。</p>



<p>　何が難しいかって、「読者の中に既にあるコンテクスト」が、<strong>読者によって違う</strong>ということです。これは当たり前なんですが、だから難しい。提供するコンテクストを端折ると、持ってるコンテクストの少ない読者は置いてきぼりになる。他方、提供するコンテクストが多すぎると、持ってるコンテクストの多い読者には非常にウザい文章になる。あるいは「読者の中に既にあるコンテクスト（≒その人の常識や良識）」と、「作中のコンテクスト」がぶつかってしまう可能性だって少なくはない。こうなってしまうと「合わない」で一刀両断です。</p>



<p>　そこで大事になってくるのが「<strong>コンセプト</strong>」。「<strong><span class="marker-under">誰に対して</span>表現するか</strong>」ですね。「読者のコンテクストの保有量」をある程度予測して、そこをめがけて削ったり増やしたりした「作者のコンテクスト」を提供する。コレがハマれば強いんだろうなと思います。わかっちゃいるんですが、実際のところどうなのかは、成功者ではない私にはわかりませんが、論理的にはこうだ……ということです。</p>



<p>　コンセプトってのは何も文章によるものだけではなくて、服や化粧品や家具や……とにかくありとあらゆる「もの」についてまわる概念です。コンセプトもなく「なんとなーく」やっていると、結局誰にも刺さらない。当然広まることもありません。口コミナシってことですね。極論すれば、誰か一人にでも刺されば希望はあるんですよ。ただ、「なんとなく」ではまず確実に誰にも刺さらない。だからいろんな人が言っていますが、小説の場合は「<strong>誰が読む・誰が手に取る</strong>」をまず考えろってことです。誰かに刺さればそこから評価が広がっていくかも知れません。が、刺さらなければ永遠にその機会はありません。</p>



<p>　おかしいな、私は考えてるんだけどな！　とかいうことも現実に起きますが、「考えなければ刺さらない＝考えれば刺さる」ではないということです。だから、考え続けなければなりませんね。「失敗はその方法ではうまくいかないことが分かったという成功だ」とはエジソンの言葉ですが、失敗を重ねていってどこかで正解に辿り着く、のかもしれません。ハマり続ける可能性もなきにしもですが。</p>



<p>　何が言いたいかというと、コンセプトにおけるターゲットというのは、「文脈（コンテクスト）」を見て決めろということです。社会的性差だってあるでしょうし、年齢的なものもあるでしょうし、理系文系だってあるでしょうし。とにかくその人が歩いてきた人生や、取り巻く環境、そういうものは全て文脈です。その文脈の延長上に「欲求」があります。「欲求」にも善悪甲乙様々ありますが、とにかくそういったものを満たせるものを作るのが大事かなと。ぶっちゃけ「全年齢・全性別・全社会的属性」に向けた作品なんて成立しません。忖度に満ちたわけのわからないものになるのは間違いないのです。</p>



<p>　なので、コンセプトは明確にしたほうが良いのです。そうすることで、読者に「どこまで文脈を与えれば良いのか」が明確になるからです。当然ながら「与える」わけですから、自分の中に確固たる文脈が成立していなければなりません。信念や理解というものですね。たとえ「テンプレ」を使うとしても、その「テンプレ」の背景が明確にイメージ出来ていなければ、薄っぺらい引用図書になってしまうわけです。やるならしっかり理解して、その上で「コンテクストを複写するための最適解として」テンプレ利用をしたいところですね。</p>



<p>　要は作者は作品を完全に理解してなきゃいけないっていうことです。コンテクストというのはそういうものです。</p>



<p>　さて、今回の記事は参考になりましたでしょうか？</p>



<p>　それでは良き執筆ライフを！</p><p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e5%a4%a7%e5%88%87%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%af%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84/">大切なことは言葉にならない</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://ken1shiki.xyz/%e5%a4%a7%e5%88%87%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%af%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
		<post-id xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">871</post-id>	</item>
	</channel>
</rss>
