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	<title>言葉 | 文章で生きていく</title>
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	<description>主に小説関係の話をするかなと思うけど、基本雑多に。</description>
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	<title>言葉 | 文章で生きていく</title>
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		<title>大切なことは言葉にならない</title>
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		<dc:creator><![CDATA[一式鍵]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 25 Aug 2019 13:54:49 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[小説投稿サイト]]></category>
		<category><![CDATA[カクヨム]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>タイトルは米津玄師「海の幽霊」という歌の一部なんですが。本当にいい歌なのでぜひ聞いてみてください。 さて「虐殺器官（伊藤計劃）」なんかでも言及されたりしていますが、「言葉」「文脈」というのは支配的です。 　「言葉」ってい [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e5%a4%a7%e5%88%87%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%af%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84/">大切なことは言葉にならない</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>タイトルは米津玄師「海の幽霊」という歌の一部なんですが。本当にいい歌なのでぜひ聞いてみてください。</p>



<figure class="wp-block-embed-youtube wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="米津玄師 MV「海の幽霊」Spirits of the Sea" width="1256" height="707"  data-youtube="eyJ0aXRsZSI6Ilx1N2M3M1x1NmQyNVx1NzM4NFx1NWUyYiBNVlx1MzAwY1x1NmQ3N1x1MzA2ZVx1NWU3ZFx1OTcwYVx1MzAwZFNwaXJpdHMgb2YgdGhlIFNlYSIsInZpZGVvX2lkIjoiMXM4NHJJaFB1aGsifQ==" src="https://www.youtube.com/embed/1s84rIhPuhk?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
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<p>さて「虐殺器官（伊藤計劃）」なんかでも言及されたりしていますが、「言葉」「文脈」というのは支配的です。</p>



<p>　「言葉」っていうのは、脳内の言語野に仕込まれたロジックを経て出力される「感情表現」なんだと思うんですよ。感情<span class="marker-under">表現</span>ですから、人によって上手いも下手もある。ここでしばしば軋轢が生まれますが、そりゃそうです。発する能力（<strong>発話能力</strong>）、受ける能力（<strong>受容能力</strong>）、それぞれに個人差がありますから。だから本来、感情を表現するだけなら、泣いたり笑ったり怒鳴ったりすればいいんですよ。そのほうがストレートに伝わる。伝えるだけならね。</p>



<p>　怒鳴ったりなんだのというような簡易な手段があるのに、わざわざロジカルな経路を経由させて「言葉」にしようとするというのはなぜか。そのロジカルな経路が破綻してしまうくらいに強烈な「感情」に支配されると、言葉を形成するためのロジック部分がうまく組み合わさらなくなって、わけわからないことを言ってしまったり、あるいは言葉にならなくなったりする。そう分かっていたとしても、そうなってしまったとしても、それでもそれをなんとか言葉にしようとするのは、「<strong><span class="marker-under">共感</span></strong>」してほしいからだと思うんですよね。</p>



<p>「<strong>言葉を捨てちゃだめだよ</strong>」、というのは、セイレネス・ロンドに出てくる（作者的に）印象的なセリフなわけですが、人は「<strong>共感</strong>」あるいは「<strong>共苦</strong>」を得るために「言葉」を使う。あるいは「感情」「苦しみ」を相手と分かち合いたいから「言葉」を使う、そんな風に思うわけなんですよね。それを捨てたらもう理解し合うことは出来ない。どんな綺麗事を言おうが、言葉を介する事なしに相互理解というのは出来ないわけです。そしてその相互理解を得るために必要な背景知識（バックグラウンド全般）こそが、「文脈（コンテクスト）」です。</p>



<p>　私ら文章書きは、ある種「言葉」に対して日々最も真摯に向き合っている種族であって、であるからこそ、「大切なこと」をどうにも言葉にしきれなくて苦悩しています。人間の持つ完璧な言葉なんて「愛してる」くらいじゃないですか？　形容詞を一つも使わないシンプルな表現、そこに「言葉」の真髄があるよなと思いつつも、それだけでは文章として成立しないのも事実。愛してる～だけでは歌詞すら成立しませんからね。だから、我々は形容詞や形容動詞や副詞をこねくりまわしてある種の妥協点（最適解とも言う）を探している。文章、あるいは文脈（コンテクスト）として成立するラインをですね。</p>



<p>　という感じで「<strong><span class="marker-blue">コンテクスト</span></strong>」の話をしたいと思います、軽く。</p>



<p>　我々は日常生活というものをコンテクストの中で送っている。コンテクスト＝文脈です、文字通りに。「言葉」によって我々は規定し、規定され、ともすれば（重たい話ですが）生死すら決められます。ただ、その「言葉」というのは「<strong>社会的コンテクストの中での言葉</strong>」にすぎず、「<strong>感情表現の一つとして共感共苦を得るための技法＝言葉</strong>」<strong>ではない</strong>。ここんところが面倒くさいところですね。ハイコンテクスト、ローコンテクストという表現は、まさにこの「社会的コンテクスト」を現しています。ゼロイチで分けると、ですね。</p>



<p>　そしてまた更に面倒くさいことに、「小説」という媒体は、その両方の意味のコンテクストに乗っかった「言葉」を使います。 「<strong>社会的コンテクスト</strong>」と「<strong>感情的コンテクスト</strong>」 の両方を巧妙に織り交ぜます。その両面を使いこなすことではじめて「物語」ができます。ちなみに社会的コンテクストに偏ると論文や実用書みたいになりますし、感情的コンテクストに偏ると歌詞のようになりますね。</p>



<p>　そして「<strong>社会的コンテクスト</strong>」を書くのは難しくない。なぜならどこまでも客観的に書けるから。情報を集めて、その情報を自分の中で完全に理解できてさえいれば、100人いれば100人に書けるでしょう。大学の卒業論文だって「社会的コンテクスト」ですから、つまり二十歳くらいになればだいたいの人の国語力で書けるんですね。ウマヘタはありますけど。</p>



<p>　その一方で「<strong>感情的コンテクスト</strong>」を書くのはもはや特殊スキルであると言っても良いでしょう。文章に偏差値があるとして偏差値70～130くらいの「ほぼ全員が入るレベル」の中の人では「感情的コンテクスト」は書けない。私はそう思っています。「面白かった」「楽しかった」「つまんなかった」「好き」「嫌い」「嬉しい」「ムカつく」「笑える」「ウケる」「しらける」「美味しかった」「不味かった」「やったー！」「ちくしょー！」「だるぃ」「学校（会社）行きたくねぇ」……<strong>普段使いの感情表現</strong>というのはだいたいこんなもんでしょうか。実際問題、その程度の表現力では小説は書けません。小学生の作文か、ってなっちゃいます（※いや、そういうレベルのノベルがあるのは事実のようですが、深くはつっこみません）。実際のところ、多くの人が文章を書くと、自分の中の「感情」をどう表現したらいいかわからなくて筆が止まります。これを語彙力の差と言ったりもします。<a href="https://ken1shiki.xyz/%e3%80%8c%e8%aa%9e%e5%bd%99%e5%8a%9b%e3%80%8d%e3%81%a3%e3%81%a6%e4%bd%95%ef%bc%9f/">語彙力云々の話はこちらでもしています</a>が、やはり文章書きならある程度は押さえておきたいものです。</p>



<p>　「感情」という<strong>無意識の発露のようなもの</strong>を「言葉」にするというのは、本当に難しいのです。そしてそれを使って「共感（共苦）してもらおう」というのは更に難しい。<strong>「言葉」を届ける相手の中にも同様の「感情的コンテクスト」がなければならない</strong>からです。小説を書く作業というのは、自分自身の「感情」を「言葉」に変換するのと同時に、相手（読者）の中に、作者の持つ「コンテクスト」を複写するということです。</p>



<p>　共通ライブラリである<span class="marker">「<strong>テンプレ</strong></span><strong><span class="marker">」</span></strong>なんかをうまく使うと、この「コンテクスト」の共有が非常に簡単になります。「中世ヨーロッパ風」といえば、<strong>「なんとなくそれっぽいもの」</strong>を思い浮かべるでしょう？　そういうことです。「テンプレ」にも是非はありますが、要は「どう使うか」なんですよ。</p>



<p>　テンプレを使わないということは、作者は読者に対して、「１から１０まで」作者の持つコンテクストをコピーしなければならないということです。純朴に朴訥に１から１０まで伝えようとしたところで、２～３くらいまででほとんどの読者は逃げてしまいます。ですから、いかにして効率よく<strong>「社会的」「感情的」コンテクスト</strong>を与える（複写する）のかが肝になります。スピーディに、少ない文字数でコンテクストを与えて共有し、その限られた範囲で「作中に出てくる感情」を「読者の脳内で再現させる」ことが大切なわけです。難しいですね。</p>



<p>　何が難しいかって、「読者の中に既にあるコンテクスト」が、<strong>読者によって違う</strong>ということです。これは当たり前なんですが、だから難しい。提供するコンテクストを端折ると、持ってるコンテクストの少ない読者は置いてきぼりになる。他方、提供するコンテクストが多すぎると、持ってるコンテクストの多い読者には非常にウザい文章になる。あるいは「読者の中に既にあるコンテクスト（≒その人の常識や良識）」と、「作中のコンテクスト」がぶつかってしまう可能性だって少なくはない。こうなってしまうと「合わない」で一刀両断です。</p>



<p>　そこで大事になってくるのが「<strong>コンセプト</strong>」。「<strong><span class="marker-under">誰に対して</span>表現するか</strong>」ですね。「読者のコンテクストの保有量」をある程度予測して、そこをめがけて削ったり増やしたりした「作者のコンテクスト」を提供する。コレがハマれば強いんだろうなと思います。わかっちゃいるんですが、実際のところどうなのかは、成功者ではない私にはわかりませんが、論理的にはこうだ……ということです。</p>



<p>　コンセプトってのは何も文章によるものだけではなくて、服や化粧品や家具や……とにかくありとあらゆる「もの」についてまわる概念です。コンセプトもなく「なんとなーく」やっていると、結局誰にも刺さらない。当然広まることもありません。口コミナシってことですね。極論すれば、誰か一人にでも刺されば希望はあるんですよ。ただ、「なんとなく」ではまず確実に誰にも刺さらない。だからいろんな人が言っていますが、小説の場合は「<strong>誰が読む・誰が手に取る</strong>」をまず考えろってことです。誰かに刺さればそこから評価が広がっていくかも知れません。が、刺さらなければ永遠にその機会はありません。</p>



<p>　おかしいな、私は考えてるんだけどな！　とかいうことも現実に起きますが、「考えなければ刺さらない＝考えれば刺さる」ではないということです。だから、考え続けなければなりませんね。「失敗はその方法ではうまくいかないことが分かったという成功だ」とはエジソンの言葉ですが、失敗を重ねていってどこかで正解に辿り着く、のかもしれません。ハマり続ける可能性もなきにしもですが。</p>



<p>　何が言いたいかというと、コンセプトにおけるターゲットというのは、「文脈（コンテクスト）」を見て決めろということです。社会的性差だってあるでしょうし、年齢的なものもあるでしょうし、理系文系だってあるでしょうし。とにかくその人が歩いてきた人生や、取り巻く環境、そういうものは全て文脈です。その文脈の延長上に「欲求」があります。「欲求」にも善悪甲乙様々ありますが、とにかくそういったものを満たせるものを作るのが大事かなと。ぶっちゃけ「全年齢・全性別・全社会的属性」に向けた作品なんて成立しません。忖度に満ちたわけのわからないものになるのは間違いないのです。</p>



<p>　なので、コンセプトは明確にしたほうが良いのです。そうすることで、読者に「どこまで文脈を与えれば良いのか」が明確になるからです。当然ながら「与える」わけですから、自分の中に確固たる文脈が成立していなければなりません。信念や理解というものですね。たとえ「テンプレ」を使うとしても、その「テンプレ」の背景が明確にイメージ出来ていなければ、薄っぺらい引用図書になってしまうわけです。やるならしっかり理解して、その上で「コンテクストを複写するための最適解として」テンプレ利用をしたいところですね。</p>



<p>　要は作者は作品を完全に理解してなきゃいけないっていうことです。コンテクストというのはそういうものです。</p>



<p>　さて、今回の記事は参考になりましたでしょうか？</p>



<p>　それでは良き執筆ライフを！</p><p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e5%a4%a7%e5%88%87%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%af%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84/">大切なことは言葉にならない</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>【オリジナリティとは？】伝聞で語るな。経験と体験で語れ。</title>
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		<dc:creator><![CDATA[一式鍵]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 08 Jun 2019 04:00:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[オリジナリティ]]></category>
		<category><![CDATA[表現]]></category>
		<category><![CDATA[言葉]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>目次 他人の言葉をそのまま使うな。自分の中で昇華させて語れ。オリジナリティとは？人間はスタンドアローンではいられない真のオリジナル 他人の言葉をそのまま使うな。自分の中で昇華させて語れ。 ……ってなことを私は常々思ってい [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e3%80%90%e3%82%aa%e3%83%aa%e3%82%b8%e3%83%8a%e3%83%aa%e3%83%86%e3%82%a3%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%9f%e3%80%91%e4%bc%9d%e8%81%9e%e3%81%a7%e8%aa%9e%e3%82%8b%e3%81%aa%e3%80%82%e7%b5%8c%e9%a8%93%e3%81%a8/">【オリジナリティとは？】伝聞で語るな。経験と体験で語れ。</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">他人の言葉をそのまま使うな。自分の中で昇華させて語れ。</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">オリジナリティとは？</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">人間はスタンドアローンではいられない</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">真のオリジナル</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">他人の言葉をそのまま使うな。自分の中で昇華させて語れ。</span></h2>



<p>……ってなことを私は常々思っています。自戒を込めて。</p>



<p>「<strong>良い言葉</strong>」って、聞いたら使いたくなるじゃないですか。その気持ちはよくわかります。ですが、ちょっと待ってください。<strong>他人の言葉はいわば「原材料」</strong>です。自分なりに調理してしかるべき形にできないとしたら、それは他人にお出しできるようなものではないという事です。それはコミュニケーションでもしかり、小説のような表現媒体でもしかり。</p>



<p>いわば格言のような「良い言葉」ほど、取り扱いには気を付けなければなりません。これらはいわば青魚（のように思えてしまうもの）です。すぐ悪くなります。だから急いで料理しなければならない——と思ってしまいます。確かに言葉によって刺激を受けたなら、即座になんらか自分のデータベースを更新するべきだし、メモリには常時乗せておくべきです。ですが、それを出力するのは少し待って欲しいのです。<strong>適切な調理方法を学ぶべきだし、適切に調理してから提供するべき</strong>だからです。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc2">オリジナリティとは？</span></h2>



<p>私も「格言」やら「伝承の一節」やらに影響を受けて作品を創ることがあります。でもこれはけっこう危険なことで、ともすれば自分の中で「わかった気になっている」だけのものである可能性があります。この状態で作品を構築すると、「創る」ではなく「作る」になってしまう危険すらあります。「作る」から「創る」にするために不可欠なものが「オリジナリティ」ということになります。</p>



<p>では、その「オリジナリティ」とは何か？</p>



<p>これは一種命題のように仰々しく語られるものですが、「オリジナリティ」とはつまり「独自性」です。世界で唯一無二の物を生み出すのが「<ruby>独自性<rt>オリジナリティ</rt></ruby>」の仕事です。じゃぁ、それは何処から来るのか。答えは、「<strong>自分自身</strong>」です。正確には「<strong>自分自身の経験と体験に昇華したものの集まり</strong>」とでも言うべきでしょう。世界を経験値に変えたものが自分を方向付ける——文学的に言うならそうでしょう。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc3">人間はスタンドアローンではいられない</span></h2>



<p>人間というものの性質は、<strong>決してスタンドアローンではありません</strong>——例外なくです。</p>



<p>世界に影響を受けて、一つの個性として確立している、それが人間です。「世界」と一言で言っても、世界というのは無限の面を持った球体のようなものですから、どの面からの影響を受けるか、どの面が見えているか、どういった形だと認識しているか——そういったものは人それぞれです。千差万別です。だから、同じ言葉を聞いても、同じ作品を読んでも、同じ映画を見ても、同じ人物に出会っても、人は得てして同じ感想を抱かないのです。実はそこに「オリジナリティ」は潜んでいます。</p>



<p>自分自身の体験や経験というのは、自分以外の誰かのものとは完全一致しません。同じ映画を見てまるきり同じ感想を抱いたとしたら、それはおかしいですよね。90%一致することはあっても、残り10%まで一致したら、そりゃもう同一個体ですよ。</p>



<p>ここに現れる他人との差異（意識しなくてもちゃんとある）が「独自性＝オリジナリティ」。だけど、「良い言葉」というのは、その表面を上滑りして、何の加工もされずにそのまま使われてしまう危険性があると私は思っています。だから「言葉の一人歩き」のようなものが発生するのだと思うわけですね。</p>



<p>こと、私ら小説家（志望）というものにとっては、「オリジナリティ」は生命線です。であるからこそ、より多くの創造活動をしない人々よりも慎重に「言葉」を取り扱う必要があります。<span class="marker-under"><strong>「いいな」と感じた言葉を一度咀嚼し、その言葉を「自分が表現するならこうだ」と納得いくところまで高めた結果として、オリジナルなものが生まれる</strong></span>。「オリジナリティ」について深く考える必要は全くないのですが、「オリジナルである」と言いたいのならば、その原点を知り、それを自分の体験や経験に昇華してから出力すればいいのだと思うのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">真のオリジナル</span></h2>



<p>「世の中もはやオリジナルなんてものはない」という論調もあります。が、それは暴論です。先述の通り、人はスタンドアローンではない。つまり、何かに影響を受けてない人間はいない。プログラム的にはこれを「<ruby>継承<rt>エクステンド</rt></ruby>」するとか言ったりしますが、まさにこれ。拡張すら許されないのであれば、世の中オリジナルのプログラムはないし、人類は延々と四角い車輪を発明し続けることになるでしょう。</p>



<p>先人の生み出したものを昇華し、「自分自身の言葉」を生み出す。それは「<ruby>独自性<rt>オリジナリティ</rt></ruby>」というフィルタを通した立派な「オリジナル」であると私は考えます。</p>



<p>そもそもね、それを言うなら、<strong>世界は「無」をこそ「継承」して作られている</strong>わけだから、<strong>「オリジナル＝無」</strong>という面白いことになっちゃいます。最上位にあるクラスが「無」なのですからね。オリジナルを辿るとNothingに辿り着くというわけですよ。色即是空・空即是色の世界ですね。仏教は良いこと言うなぁ。</p>



<p>なので<strong><span class="marker-under">「自分自身の経験や体験、思考を通じて出力されたもの」だと自分が確信を持って言えるものは、総て「オリジナル」と言っても良い</span></strong>。もちろん、盗作は別問題ですよ？　そこまで議論は広げていませんからね？</p>



<p>何度でも言いますが、大切なのは「自分」という「オリジナリティ」のフィルタを通してしっかり調理することです。小説だろうがなんだろうが、とにかく<strong>自分の言葉</strong>で語れと。自分の言葉で語れないうちは、まだその格言や言葉のレベルに到達できていない……ということです。</p>



<p>オリジナリティって何だろうって悩む前に、「書きたいもの」はあるのかを問いかけてみてください。「書きたいもの」があるのなら、「それを自分の言葉で（熱く）語れるのか」だけを考える。四六時中。その結果、「YES」だったら、それを表現するときが来たということでしょう。小説でも何でも書いて、「カクヨム」「小説家になろう」……まぁ、カクヨム推奨ですが、とりあえずどこでもいいので発表してみましょう。評価は読者がしてくれます。変なことを憂う必要はありません。まぁ、できれば本サイトであれこれしている分析も覗いてみて欲しいところですが。</p>



<p>さて、とりとめもなくなってきたところで。</p>



<p>それでは良き執筆ライフを！</p><p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e3%80%90%e3%82%aa%e3%83%aa%e3%82%b8%e3%83%8a%e3%83%aa%e3%83%86%e3%82%a3%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%9f%e3%80%91%e4%bc%9d%e8%81%9e%e3%81%a7%e8%aa%9e%e3%82%8b%e3%81%aa%e3%80%82%e7%b5%8c%e9%a8%93%e3%81%a8/">【オリジナリティとは？】伝聞で語るな。経験と体験で語れ。</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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