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鬼滅の刃、無限列車編【魘夢パート】

「無限列車編」、DVD買って届いたその日に一度観てるんですが、本日再視聴。ufotableの作画力の凄さに何度も驚くわけです。そして、なにより! 圧倒的忠実さ! 原作に一切手を加えない忠実さ。「原作(漫画)が動いたらこうなる」を完璧に! 完璧に再現している! うまい! うまい! なんてことはもう鬼滅ファンなら常識の範疇。原作改変は悪。はっきりわかんだね。

もちろん、コミックスも全巻揃えてますよ。数々のシーンに幾度となく胸を打たれたものです。

この作品、大本のテーマとかそういうのはもちろんのことなんだけど、キャラクターが非常に魅力的なんですよね。キャラクターの設定とかだけじゃなくて、その設定を物語の中にこの上なく丁寧に織り込んでる。だから説明的にもならず、くどくも押し付けがましくもならずに、読み手の中に入ってくる。

アニメ第一話(コミックス第一話)で嫌というほど明示される主人公・炭治郎の境遇。あまりにもハードな展開に、何度観ても胸が痛い。そしてそれ、「無限列車編」で見事に増幅されるんですよね。「夢」という形で。もう刺さる刺さる。漫画読んで予習はしてても、ufotableの魔力とでもいうのか、声優さん方、音楽、そういうものの力にガッツリぶん殴られる感じがある。どうしてこんなモノを描いた! と言わんばかりのハードな展開にかなりの衝撃を受けました。多分、鬼滅勢のほとんどがそうじゃないかなぁ。そして、あそこまで描き込んだからこそ、炭治郎の「思い」の強さを慮れるようになり、そして共感できるようになる。そのどこまでも突き進む気持ちに感情移入できるようになる。

そして今、魘夢の血鬼術から炭治郎が覚醒しかけてるシーンが流れているのだけど、もう辛いね。辛すぎる。「どうしてこんな仕打ちするかな」ってくらいに辛い物語だよなぁ。見れば見るほど刺さるなぁ。炭治郎の「ここにいたいなぁ、ずっと……」のつぶやきが重たいなぁ。「本当なら」「本当なら」っていう台詞も、【本当はそうじゃない】って知った上での台詞選び。もうたまらない。「がんばれ!」って心から思える主人公なんだと思うんですよ、炭治郎。

で、この「本当なら」「本当なら」って心の叫び、魘夢の断末魔「悪夢だぁ……」に通じる物があるんですよね。「この夢が本当だったらいいのに。でもそれは現実じゃないんだ、だから受け入れなきゃならないんだ」っていう炭治郎の心。「この(敗北という)現実は悪夢だ。こんなはずじゃなかった。これは現実なんかじゃない。悪夢なんだ」っていう魘夢の嘆き。炭治郎のは純粋に本当に圧倒的に強い人間にしかできない心の動きで、多くの私たち一般人はおそらく魘夢のようになっちゃうんじゃないかな。だから、魘夢は「下弦の壱」にまで這い上がれたんじゃないかなと。多くの人間が魘夢の「想定の範囲内」だったから。ところが炭治郎は「自分で自分の首を(何度でも)切り裂いて死ぬ」ことを躊躇わない。強烈な信念で突き動かされる。「胆力が異常」と魘夢も評していますが、まさに「ふつうじゃない」んです。例外なんですね。つまり想定外の存在だということです。

そんなクッソ重たいストーリーですが、善逸や猪之助のコミカルさでうまくバランスとってるなぁって思うんですよ。もっとも、善逸も猪之助も、原作の先の方(善逸は那田蜘蛛山のエピソードで出てくるじいちゃんとのやり取りでもぐっときましたが)でぐっさぐさ刺さるシーンが出てくるんですが。まさか猪之助に泣かされるとは思わなかったよ私は。私の中で、童磨は最も許せない鬼ですよ。よくもこんなにくったらしい敵を作れたな! って。

そしてこの無限列車編の「魘夢」ですが、これ、ただの悪役じゃないんですよね。私たち多くの「傍観者」の言うところの「小悪党」なんですよ、この人(鬼)。

自分は有能なはずだ、自分は誰よりも(上弦の鬼よりも)優れているはずだ、万事うまく行くはず。うまく行かないのは他人のせい。自分の力があれば全てがうまくいくはずだ(と信じて疑わない)……という。困難(=炭治郎)が迫ってきた時、「まともじゃない!」と言って自棄になって、炭治郎を「家族に罵倒させる」という悪夢を見せてしまう。窮地に陥って「えいや!」と出した策がばっちり裏目に出てるんですよね。そして自分が蓄え鍛えてきた力ではなく、他人(無惨様)に与えられた力を誇示して「俺は強い!」アピールをする。……こういう人いるじゃないですか、リアルにも。失敗したとき、俺はまだ全力を出せていない! とか言い訳しちゃうところもまぁ、なんというか【鬼】なのに、ものすごく死ぬほど【人間】臭い。そして失敗した原因を全部「他人」のせいにしてる――「あのガキが悪い!」みたいに。最後の最後で「何という惨めな悪夢だ」と言って消えますが、ここでも彼にとって都合の悪い現実は「悪夢」なんですよね。

いや、これ、こういう心理。みんな多かれ少なかれそうかもしれない。だからなんていうか、くっそにくったらしいんですよね。同族嫌悪なのかもしれない。それも狙った上でのキャラ作り・ストーリー展開だとしたら、ていうか多分そうなんでしょうけど、やっぱり支持された理由がよくわかりますね。

そして前半、「魘夢」編とも言える「前座」は、炭治郎&猪之助が片を付けるわけです。善逸の見せ場もしっかりあったり、禰豆子がいなければそもそもパーティ全滅して終わっちゃったりして。この四人でしっかり主人公パーティって感じがしますね。前座なんですけど。

この「魘夢」編で終わっていたら鬼滅の刃・無限列車編も興行収入300億、世界で500億なんて行かなかったと思うんです。というか、そもそも原作もそこまでヒットしなかったでしょうね。原作も最後の最後まで凄まじいテンション、クオリティで突き進み、ちゃんと落とし所をつけている。本当におもしろい漫画だったなぁと思います。

次のエントリーでは「無限列車編」の本編とも言うべき、煉獄さんのシーンを観ながら書いていきたいと思いますよ。

→後半【猗窩座&煉獄さん】

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