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	<title>成功者 | 文章で生きていく</title>
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	<description>主に小説関係の話をするかなと思うけど、基本雑多に。</description>
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		<title>頑張る方向を間違えても良い。頑張らないよりは絶対に良い。</title>
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		<dc:creator><![CDATA[一式鍵]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 24 Nov 2019 05:50:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[クリエイター]]></category>
		<category><![CDATA[パラダイムシフト]]></category>
		<category><![CDATA[努力]]></category>
		<category><![CDATA[失敗者]]></category>
		<category><![CDATA[成功者]]></category>
		<category><![CDATA[社会構造]]></category>
		<category><![CDATA[頑張りは報いられるべき]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>※ツイッターでだらだらっと書いた文章があるのですが、それを手直ししました。 頑張って失敗した人間を笑うような人間にはなるな。失敗した人間のためにも、それと同じ失敗はするな。そのためには、頑張る人間をしっかり見て、しっかり [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e9%a0%91%e5%bc%b5%e3%82%8b%e6%96%b9%e5%90%91%e3%82%92%e9%96%93%e9%81%95%e3%81%88%e3%81%a6%e3%82%82%e8%89%af%e3%81%84%e3%80%82%e9%a0%91%e5%bc%b5%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%88%e3%82%8a%e3%81%af/">頑張る方向を間違えても良い。頑張らないよりは絶対に良い。</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>※ツイッターでだらだらっと書いた文章があるのですが、それを手直ししました。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>頑張って失敗した人間を笑うような人間にはなるな。<br>失敗した人間のためにも、それと同じ失敗はするな。<br>そのためには、頑張る人間をしっかり見て、しっかり応援しろ。その時の声援と評価は、必ず自分に返ってくる。 </p><cite> <a href="https://twitter.com/estclusterx/status/1198446925210537985">https://twitter.com/estclusterx/status/1198446925210537985</a> </cite></blockquote>



<p>まず、こういうことを書いたんですよ。頑張る人を見ている人は、自ずと頑張るようになるし、いざ自分が頑張ってる時には、過去に自分が誰かを応援した経験があるから、自らのその声に励まされるんだ、という意味です。</p>



<p> 頑張ったからと言って報われないことも多い……とよくいうけど、私は違うんじゃないかと思う。<strong>「頑張れたのなら」、頑張った当人は報われている</strong>と思う。がんばれたのなら。でも、「頑張っている人」の多くは、第三者による承認や権威付け（オーソライズ）を求めるから、そしてそれを「頑張った証」だとおもっているから「目標」がおかしくなり、結果として失敗体験だけが積み上がる。成功するのは何千分の１。<strong>圧倒的に失敗体験だけが積み上がるようにできている</strong>のだ。そしてその上、社会に於いて「<strong>失敗は嗤われる</strong>」ようにできている。</p>



<p> 例えば<strong><span class="marker-under">私は「全くの無冠（受賞歴ゼロ）」の「キャリア32年」という小説わなびに於いては最底辺</span></strong>だ。実績（頑張りの証とか、オーソリティによる承認）がないことをひたすら辛いと思ってきた。だけども「待てよ？」と最近になってようやく腑に落ちた――私のこの「32年無冠」であることを<strong>強み</strong>にできるということに。この期間の頑張りは、誰にも真似できない、いわば唯一無二のものだ。</p>



<p>足掛け32年、ずっと小説で食べていきたいと思って（病気療養中以外）ずっと小説を作ってきた。つまり、コレ自体が実績じゃないか？　と、思えてきたわけだ。負け惜しみに聞こえるかもしれないけど、今は不思議と「書籍化したい！（頑張りの証＝実績が欲しい！）」という感覚はなくて。 頑張り続けてればなるようになるんじゃない？ くらいの気持ち。<strong>実績がなければ「説得力がない」と思っていたんだけど、最近になって「それも違う」と思うことが増えてきた</strong>。人は実績でもちろん下駄を履くが、下駄がなくても話せるよな？　ということに気がついた。勿論、どんな台に多頭が、そこに下駄を履いた人が乗れば私より高くなる。でも、私が黙っていなきゃならない道理もない。ハッとそこに至ったわけだ。</p>



<p>それに私は32年目の受験生のようなものだ。未だ合格（受賞）すらしていない。だけど、私がもがいてあがいてきた期間は、 3年や5年あるいは10年ですらないのだ。 30年。18歳から書き始めていたとしたら48歳になる。 それで、はたして今書き始めた<strong><span class="bold-red">18歳が48歳になるまで「公には一切評価されることもなく」「小説を書き続けられる」だろうか？</span></strong>　難しいと思う。 だが、私は未だ記録更新中。決して抜かれない。 これは一種のプライドになるのではないだろうか？</p>



<p>だがしかし、この現状のままでは「努力は報われる」が対外的に示せない。「努力は（出版社には認められないかもしれないが）、必ず多くの評価を得る」という仕組みを作らなくちゃならない。「創作」に関する世界的・客観的な評価制度。そういうものが作られたっていいし、そこにAIぶっこんでもいい。 使えるものは何でもつかうべきだ。</p>



<p>勿論、私の「努力」も報われたい。が、より多くの「努力してる人」のその成果を「より報われる」ような仕組みを創れば、必然私の「努力」もそこに包括されるのでは？　と、そういうことを思うのだ。 努力できる人には努力して欲しいし貴重なそういう人をこそ評価する仕組みが必要だ。ましてや笑う人間は不必要だ。 </p>



<p>努力する人、<strong>頑張る人の<span class="bold-red">大敵</span>は「<span class="marker-under">何もしないくせに失敗を笑う人間</span>」。「<span class="marker-under">人の成功をただ享受し、失敗したものにマウントを取る人間</span>」</strong>。現状維持という一番楽な生き方をし、世界を変えようと努力する人を嘲笑う、失敗を上から目線でこき下ろす、そういう人間。残念ながら、私たちには彼らを消すことはできない。 昔から人間の進歩や進化の足かせになってきたのは、この手の人間たちである。現状維持信奉者と言っても良い。つまりは、<strong>退化や劣化に気付け無い魯鈍で卑陋な精神の持ち主たち</strong>だ。だが、彼らを排除することは不可能だ。</p>



<p>だからこそ、「そういう手合いの人間」に受けた傷よりも<strong>多く</strong>の恩恵／承認／報酬を、「努力／頑張る人」に提供できるような仕組みが早急に必要なのだ。 くだらない人間たちの嘲笑ごときで、クリエイターを減らしてはいけない。今まさにそういう被害にあって筆を追ってしまうクリエイターがいる。少なからずトラウマになってしまう人もいる。だからこそ<strong>一刻も早く、「努力するクリエイター」を社会の「勝ち組」にしなくちゃ</strong>ならない。 </p>



<p>勿論<strong>「頑張る／努力する人」というのが大前提</strong>だ。「努力をしない人」というのは界隈の質を下げてしまう。だけど、たとえそういう人であったとしても、「<span class="marker-under">努力すれば<strong>より</strong>報われる</span>」ことがはっきりしていれば、質は勝手に向上していくんじゃないかと思う。 今は<strong>「個」の時代ではなくて「群」の時代</strong>。全てが繋がっているから、案外単純化するのでは。今が「個人主義の時代」と思っている人は、もう少し視野を広く持ったほうが良い。口では「個人主義」と言いつつ 、ネットのそれぞれの社会で出来た規範に従って相互に監視しあい、影響しあう社会なのだ。だから、「群体の時代」なのだ。</p>



<p><strong> </strong>もっといえば<strong>「努力の結果の失敗を笑う」ことが「恥ずかしい行いである」という認識が広まればいい</strong>。そのためには「努力は、失敗したって報われる」という社会構造の大きな変革が必要になる。けど、昨今の各種運動を見ても、きっかけさえあれば一瞬でパラダイムシフトは起きる気がする。努力は大切だと義務教育でこれほど教えておいて、未だに定着しないことには何か理由があるはずだ。 </p>



<p><span class="fz-24px"><span class="bold-red">「失敗したって良い。本気の失敗には意味がある</span></span>。<br>　　<span class="fz-24px"><span class="bold-red">分かる人にはわかっている。<br>　それを笑うやつは恥ずかしいやつだ」</span></span></p>



<p>社会の半分がこの考えが持てるようになるだけで、創作の世界のみならずあらゆる生活への価値観は変わるだろう。 </p>



<p>「失敗が笑われる」のには理由がある。現代（日本）社会では、みな「失敗しないようにする」ことに意識を向けすぎているから<strong><span class="marker-under">「失敗」が目立って</span></strong>しまう。目立つということは<strong>特異</strong>に映ってしまうということだ。そして人間というのは<span class="marker-under">「普通と違うもの」に対してより上位に立とうとする救いがたい性質がある</span>。</p>



<p>幸いにして、日本国に於いては「失敗」したって簡単には死にはしない。なのに「<strong>失敗を恐れ、失敗しないようにしか動かず、他人の失敗を笑う</strong>」。 その一方で、「成功者」の「成功」にばかり目をむける。社会は「成功者」の、それも「成功の一面」しか見ない。「失敗」を映すこともあるが、それは「成功」の引き立て役でしかない。さも、成功者の「成功」を見れば自分も成功者になれるかのごとく、社会は、いや、メディアは人々の意識を誘導する。</p>



<p>この日本国という社会は、<strong>「失敗した人」を嘲弄して、自分を上の立場におきたがる社会</strong>でもある。 そして程よいサンドバッグを見つけると、死ぬまで殴り続ける社会である。そんな狂気の社会では創造者は生まれない。技術革新も社会変革も起こり得ない。<strong>永遠に失敗は失敗のまま</strong>、だ。 そんなバカな話があって良いはずがない、と、私は思っている。</p>



<p>「成功」の影には無数の「失敗」がある。<strong>「成功」が難しいのは「失敗して嗤われる」ことで、挑戦者の精神が無駄に消耗させられてしまうから</strong>だ。「失敗＝ゲームオーバー」だと信じ込まされているからだ。だから「成功者」には強いメンタルが要求されている。が、私はこれは間違えていると思う。数少ない成功者の影で、<strong>無数の「普通メンタルの成功者予備軍」が潰されてきた</strong>と考えている。勿体無い。実に勿体無いのだ。</p>



<p>勿体無いのだ、「失敗を笑う」社会は。仕組みは。組織は。集団は。彼らはあまつさえ<strong>「<span class="marker-under">成功の見込みの低い努力</span>」を続けている人さえ嘲弄の対象にする</strong>。その責は誰も負わない。その努力が成功しようが失敗しようが関係ない。その時のその「損失可能性」だけを見て笑い、上手く行った時にはそれまでの攻撃を忘れてしれっと労い、失敗した時には更に嗤う。そんな中で「成功」が生まれるはずがない。世の中の大多数を占める「普通かそれ以下のメンタル」の人たちが逼塞しないはずがない。だが彼ら「他人の失敗を嗤う」人々を消し去ることはできない。人間とは本然そういうものだからだ。であるなら、それ以上に誰かが、あるいは、何かが報いねばならない。 </p>



<p> 努力した人に、頑張る人に報いる。 ごく普通で常識化しておいて欲しい概念だが、未だ概念で終わっている。私はこの仕組みを変えたい。 頑張った人間は、たとえ方向を間違えていようがなんだろうが、<strong>「何もしてない人間よりずっと素晴らしい」</strong>ということを社会的に認めて行けなきゃならない。</p>



<p>人にはいろんな個性、知性、興味、人格、思考、そういうものがある。いわば多様性（ダイバーシティ）だ。彼らはその中で努力している。ゲームのステータスとは違う、もっと細分化した能力をみんな持っている。その中でもがいてあがいて頑張っている人は少なくない。それを正しく認知し、<strong>「失敗や努力を嗤う人間」から守れる仕組み</strong>が必要だ。努力や頑張りが、「お前すごいな！」と誰もが遠慮（というのも変な表現だけど）なく言えて、素直に認められる仕組み。そして、努力を笑う人間に「ばーか」と誰もが言えるような仕組みに変われば、絶対生きやすくなる。 </p>



<p>そういう社会を「望みます」じゃなくて、そういう社会を「作ります」と、私は言いたいし、そのために動きたい。そのために私に何ができるか考えて、今いろいろと裏側で動いているところ。もう少し時間はかかるけど、技術革新を利用してもっとうまいことやれるように頑張りたい。 </p>



<p>せっかく「制度」を活用すれば「少なくとも死なない」日本国にいるのだから、であればなお、「日々を生きる」じゃなくて「日々を<strong><span class="marker-under">より良く</span></strong>生きる」にならなきゃならない。 そのためにまず一番に変えるべきは社会の精神性なんだよ。そしてそれを変えるために必要なものは、利害なんだ。差し引き＋の。 </p>



<p>そのために何ができるか。私は見えないところで頑張っている所。成果が出たら褒めてくれ。</p><p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e9%a0%91%e5%bc%b5%e3%82%8b%e6%96%b9%e5%90%91%e3%82%92%e9%96%93%e9%81%95%e3%81%88%e3%81%a6%e3%82%82%e8%89%af%e3%81%84%e3%80%82%e9%a0%91%e5%bc%b5%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%88%e3%82%8a%e3%81%af/">頑張る方向を間違えても良い。頑張らないよりは絶対に良い。</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「文章で生きていく」ために</title>
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		<dc:creator><![CDATA[一式鍵]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 19 Nov 2019 13:12:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[コスパ]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>
		<category><![CDATA[品質と生産性]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>このブログのタイトルは「文章で生きていく」ですね。そういう決意を込めて作ったということです。まぁ、未だ広告収入は1日2円くらいですが。これを2桁、3桁、4桁と増やして、最終的には5桁にできたら……なんて考えたりしますが、 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e3%80%8c%e6%96%87%e7%ab%a0%e3%81%a7%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%8f%e3%80%8d%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ab/">「文章で生きていく」ために</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>このブログのタイトルは「<strong>文章で生きていく</strong>」ですね。そういう決意を込めて作ったということです。まぁ、未だ広告収入は1日2円くらいですが。これを2桁、3桁、4桁と増やして、最終的には5桁にできたら……なんて考えたりしますが、結局「良い文章あって」のもの。放置しておいてもお金になるようなクオリティの記事を用意しなければ話になりません。</p>



<p>ブログで広告収入を得ようと思ったら、それだけなら難しくないんですよ。それっぽいサイトを創れば、少なくともサーバ代くらいは捻出できるようになる。なんにも特別なことじゃありません。世の中にごまんとあるブログ。どこを見ても似たような記事。だけど、だからこそ成り立つんです、ブログという集合体、WEBに於ける大規模構造は。</p>



<p>つまり、<strong>「<span class="marker-under">どこを見てもそれっぽい情報がある</span>」という意味で、巨大な一つの情報サイトとして成り立っているんですね、WEBの記事の世界</strong>というのは。検索エンジンで検索してでてきたサイトに行きますよね？　誰がいつ作ってどんな思いで書いてるか。気にします？　しなくないです？　検索した＝欲しい情報を探していたってことですから、その<strong><span class="marker-under">「欲しい情報」が手に入りさえすれば、誰が書いた記事でも構わない</span></strong>ってことになります。嘘記事・嘘情報に引っかかる人が多いのも、これが理由です。</p>



<p>私のこのブログもまた、そういう「一つの巨大なサイト」の中にある「一つのコンテンツ」にすぎません。直近七日の訪問者の傾向を見ると、<strong>「<span class="marker-under">検索エンジン経由＝4割</span>」</strong>です。ということは、この「4割」の人たちは、私がナニモノかも知らないし、何をしている人なのかも知らないし、そして殆ど全員が知らないままサイトを離脱していったに違いありません。</p>



<p>ですがその「4割」の人は、私の何かの記事を読んでいったはずです。<strong>Google AdSense</strong>と<strong>Analytics</strong>を細かく分析すると色々見えてくるのですが、検索エンジンから流入してきた人の滞在時間は短くない。ということは、目的の記事を１つ２つ読んでいるということになります。その人達の心に残る記事を書けてはじめて、Twitterフォローしてもらったり、サイトをブックマークしてもらえたりするということになるわけです。<strong>拡散もしてもらえたら嬉しい</strong>んだけど、なかなか難しい。</p>



<p>さて、文章でお金を得る。これは、イコール・ブログで収入を得る、ではありません。<strong>あくまで「<span class="bold-red">文章で</span>」お金を得る</strong>んです。私はそれをこの半年（2019/5～11）模索してきています。途中サボったりもしたけど、おかげさまで記事数は150近くなり、一般ビジターの閲覧傾向が分かる程度のPV数になってきました。ですが、<strong><span class="marker-red">1日2円</span></strong>。1ヶ月で50～60円の収入しか得られていません。そこらのアフィサイトやらなにやらを見ていると月収5桁が当たり前に見えてきますが、月あたり二桁、多くて三桁が関の山です。</p>



<p>年間通じても換金対象の8000円（Google AdSense基準）になんて到達しません。1月100円稼ぐとしても換金に7年かかります。ニュースサイトから引っ張るをはじめ、いろいろなアクセスアップ＝広告収入アップのテクニックはあります。私も承知しています。が、<strong>私は「ブログで」生きていくのではなく、「文章で」生きていきたい</strong>。だから、愚直にその方法を探しているのです。今は毎月1000円以上の出費をしてサーバとドメインを管理しているということになります。マイナスです。永続させられません。これじゃ「生きていく」どころの話ではありませんね。<strong>むしろ「文章に殺される」</strong>です。</p>



<p>「良い文章」とは何かということを考えます。それは突き詰めて言えば「<strong><span class="marker-under">【検索された言葉】に応える文章</span></strong>」なんです。異論はあるかもしれませんが。WEBという媒体においては、これが真実です。勿論SNSで拡散する時にはキャッチーなフレーズも必要になるでしょうし、そこから誘引されてくる人も勿論います。が、私のブログ（CTR4%）程度でも、<strong>検索流入が4割</strong>いるということを考えても、「<strong>何らかのワードの<span class="marker-under">意味</span>を求めて来た</strong>」人たちがそれだけいるということになります。なので、<strong>「良い文章」というのは、「その要求に応える」文章</strong>であるということです。</p>



<p>私はタグ分析やら何やら分析系を提供してきました。これからもすると思います。それは結局「タグ　効率が良い」とか「タグ　読まれる」とかそういう検索がされてくると予測した結果の記事なんですね。<span class="fz-12px">半分趣味ですけど。</span>「<strong>どういうタグが需要あるのか</strong>」なんて「<strong>小説家になろう</strong>」や「<strong>カクヨム</strong>」や「<strong>ノベルアッププラス</strong>」に参加してる人なら、誰だって知りたいじゃないですか。そういうことも考えて記事を作りました。これがある意味あたった。今でもかなりコンスタントにアクセスされています。ということは、これが「検索への応え」になっているということの証明でもあります。</p>



<p>たとえばちょっとGoogleでもYahoo!でもいいですけど「<strong>ブログ　お金を稼ぐ</strong>」などで検索してみてください。<strong>クソみたいな記事が死ぬほど出てきます</strong>。逆に言うと、そのワードによる文章は、それだけ需要があるトピックだということになります。また、それだけ「応えやすい」検索クエリだということになります。方法論というものには「答え」がないですからね。「<span class="bold-red">応</span>える」だけで、相手（検索した人）は「<span class="bold-red">答</span>えてもらった」気になる。そういうものほど、検索ワードとしては人気がありますし、検索ワードとして人気があるということは、多くの検索流入を求めるブロガーが記事にする……そういう単純過ぎる仕組みがあるのです。</p>



<p>ぶっちゃけ、世の中の<strong>殆どの「方法論」を語ったサイトはクソみたいなもの</strong>だと思います。そしてそうであるから、「検索する人」たちも、そのレベルの情報で納得してしまう。悪い意味で「そんなもんだろ」っていう慣れが出てしまっているのだと思います。誰もが情報発信できる時代。猿真似で金を稼げる時代。情報にあふれる時代。であるから、情報の価値は相対的に下がってしまった。みんなその低品質な情報で「なるほどね～」と思ってしまうようになった。質が下がっているのに気付かない人が増えた。「嘘を嘘と見抜けない人」が増えた。質は下がっているのに、「答え」をもらえた気になって、「疑う」のを止めた。私に言わせてもらえば、<strong><span class="marker-under">現今のWEB世界はディストピア</span></strong>です。</p>



<p><strong>そんな中で「質の高い情報」を発する必要はあるのか</strong>。</p>



<p>まずそこからサイトデザイン、コンセプトデザインが始まりました。結論としては「<strong><span class="marker-under-red">質の高さがわかるユーザをごまかさないようにしよう</span></strong>」でした。当然といえば当然の心構えなのですが、多くのブログはそこのところを実践できてない。「数多くの質の分からないビジターを取り込む」ことだけを考えているからです。生産性と品質を秤にかけた結果、前者を優先しているということです。まぁ、数としてはそういうビジターのほうが多いわけですから、「<strong>コストパフォーマンス</strong>」を考えるなら当然の帰結です。「答え」のような「応え」をしていればいいのですから、楽です。</p>



<p>勿論、「とても高品質なブログ」もたくさんあります。国内（日本語）だけで幾つあるのかわかりませんが、上位1割くらいは確かに間違いなく高品質です。私がよく見るのはITや資格試験に特化していたり、書評をしていたり、映画について書いているブログですが、行きつけになってるところはやっぱり品質が高いと思います。じゃぁ、何故私が「このブログすげえな」と思ったりするのかと考えました。</p>



<p>結果、<strong>「想い」とか「情熱」、言ってしまえば<span class="marker-red">「好き」が詰まっている</span>。そういうブログはたいてい面白い。</strong>「義務で書いてます」「広告収入目当てです」とかいうのが透けて見えるサイトは、意識して再訪することはないです。あと、技術系でよくあるのが「自分がわかってる情報を他人もわかっている前提で書く」ブログ。これはダメですね。訪問者を見ていない。こういう技術者が高慢ちきな態度で情報の発信（というか知識のひけらかし）をしているのを見るとイラっとします。検索エンジン汚しですね。</p>



<p>さて、<strong>「好き」が詰まっていれば面白いブログになり得る</strong>。というより、それが<strong>大前提</strong>だということがわかりました。「好き」なもの、「語れるもの」、そういうものが必要だということもわかりました。ブログはキャンペーンのランディングページとは違い、常に「<strong>生きている</strong>」ことを示していたほうが良い。つまり、ちゃんと更新していることが大事なのです。作者がちゃんと「いる」ことがわかるだけで、読者は情報に納得感を得ます。であるから、私は更新頻度も高くしていますし、Twitterなんかも連携させているわけです。そして「品質を求めると生産性が下がる」というものに対抗すべく、記事を作りました。スタートアップ時（5月）の記事数を見て下さい。<strong>狂気</strong>ですよ。11月も今の所1日だけです、書いてないのは。記事は見てもらえば品質はわかると思います。見てね。</p>



<p>私はこのブログを「<strong>文章で生きていく</strong>」とタイトルにしてしまうくらいですから、「<strong>文章が好き</strong>」です。<strong>発信するのが好き</strong>なんですね。インフルエンサーになりたい。私の声を届けたい。思いや理解に共感してもらいたい。そういう願望がある。だから、その一メディアとして「文章」を使いたい。それに、ある意味<strong><span class="marker-under">「文章を書くこと」こそが、私の唯一の武器</span></strong>だとも言えます。だから「好き」なことには事欠かない。</p>



<p>そして私は<strong>私自身を「小説を書く」という行為について語るのにはうってつけの人材だ</strong>と思いました。30年以上、小説を書き続け、100以上の公募に参加したにも関わらず、<strong>未だ一度も受賞していない</strong>。<strong>なのに書き続けている</strong>。これを「<strong>好き</strong>」と言わずしてなんというかと。なので、私は多分、日本国中を探しても十人二十人いるかいないかというような人材だと思っています。というより、私にしか発信できないだろう、こういう情報は……という思いでいるのです。</p>



<p>唯一無二。<span class="bold-red">恥</span>ですよ、公募に初めて応募した14歳（頃）から数えて早28年、殆ど欠かさず色々送ってきたのに、<strong>ただの一度も受賞がない</strong>んですから。それをこうして不特定多数に自ら明かしているのですから。<span class="bold-red">ものすごく恥ずかしい</span>。「俺には才能がありませんがなにか」と思っているととらえられても仕方ない。だけども、発信力を僅かでも上げ、このブログの唯一無二性を向上させるためには、常にそういうこともオープンにしなくてはならないと考えているのです。そのくらい自分を切り売っている。そこまでして「文章で生きていきたい」と思っている。</p>



<p><strong><span class="fz-28px">私は成功者ではない。</span></strong><br><strong><span class="fz-28px">それはつまり、これから成功するということだ。</span></strong></p>



<p>色々と発信している私が、いつか何らかの結果を出せる「かもしれない」。その「かもしれない」をリアルタイムに見てもらう。そのために、私はこうして発信を続けていこうと思うのです。やってきた人には、「応え」じゃなく「答え」を見せたい。やっていればうまくいく、続けていけば報われる、その姿を見せたい。<strong>成功していないからこそできる</strong>こと。<strong>成功者にはできないこと</strong>をやろう。そう考えました。</p>



<p>そして、このブログの内容は、若い人には書けない。30年以上、バカみたいに頑張ってきた人間にしか書けない。30年小説を書き続け、<strong>何の成果もないまま、それでも書き続けてきた人にしか</strong>書けない。そういう意味で貴重なものになる。負け犬のブログ。そう言われても構わない。それならそれで唯一無二のものになる。本当にこの価値、この品質が知られれば、私は「<strong>文章で生きていく</strong>」ことができるようになるかもしれない。</p>



<p>そんなことを思いつつ、今日も記事を書きました。</p><p>The post <a href="https://ken1shiki.xyz/%e3%80%8c%e6%96%87%e7%ab%a0%e3%81%a7%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%8f%e3%80%8d%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ab/">「文章で生きていく」ために</a> first appeared on <a href="https://ken1shiki.xyz">文章で生きていく</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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