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「文章で生きていく」ために

エッセイ

このブログのタイトルは「文章で生きていく」ですね。そういう決意を込めて作ったということです。まぁ、未だ広告収入は1日2円くらいですが。これを2桁、3桁、4桁と増やして、最終的には5桁にできたら……なんて考えたりしますが、結局「良い文章あって」のもの。放置しておいてもお金になるようなクオリティの記事を用意しなければ話になりません。

ブログで広告収入を得ようと思ったら、それだけなら難しくないんですよ。それっぽいサイトを創れば、少なくともサーバ代くらいは捻出できるようになる。なんにも特別なことじゃありません。世の中にごまんとあるブログ。どこを見ても似たような記事。だけど、だからこそ成り立つんです、ブログという集合体、WEBに於ける大規模構造は。

つまり、どこを見てもそれっぽい情報がある」という意味で、巨大な一つの情報サイトとして成り立っているんですね、WEBの記事の世界というのは。検索エンジンで検索してでてきたサイトに行きますよね? 誰がいつ作ってどんな思いで書いてるか。気にします? しなくないです? 検索した=欲しい情報を探していたってことですから、その「欲しい情報」が手に入りさえすれば、誰が書いた記事でも構わないってことになります。嘘記事・嘘情報に引っかかる人が多いのも、これが理由です。

私のこのブログもまた、そういう「一つの巨大なサイト」の中にある「一つのコンテンツ」にすぎません。直近七日の訪問者の傾向を見ると、検索エンジン経由=4割です。ということは、この「4割」の人たちは、私がナニモノかも知らないし、何をしている人なのかも知らないし、そして殆ど全員が知らないままサイトを離脱していったに違いありません。

ですがその「4割」の人は、私の何かの記事を読んでいったはずです。Google AdSenseAnalyticsを細かく分析すると色々見えてくるのですが、検索エンジンから流入してきた人の滞在時間は短くない。ということは、目的の記事を1つ2つ読んでいるということになります。その人達の心に残る記事を書けてはじめて、Twitterフォローしてもらったり、サイトをブックマークしてもらえたりするということになるわけです。拡散もしてもらえたら嬉しいんだけど、なかなか難しい。

さて、文章でお金を得る。これは、イコール・ブログで収入を得る、ではありません。あくまで「文章で」お金を得るんです。私はそれをこの半年(2019/5~11)模索してきています。途中サボったりもしたけど、おかげさまで記事数は150近くなり、一般ビジターの閲覧傾向が分かる程度のPV数になってきました。ですが、1日2円。1ヶ月で50~60円の収入しか得られていません。そこらのアフィサイトやらなにやらを見ていると月収5桁が当たり前に見えてきますが、月あたり二桁、多くて三桁が関の山です。

年間通じても換金対象の8000円(Google AdSense基準)になんて到達しません。1月100円稼ぐとしても換金に7年かかります。ニュースサイトから引っ張るをはじめ、いろいろなアクセスアップ=広告収入アップのテクニックはあります。私も承知しています。が、私は「ブログで」生きていくのではなく、「文章で」生きていきたい。だから、愚直にその方法を探しているのです。今は毎月1000円以上の出費をしてサーバとドメインを管理しているということになります。マイナスです。永続させられません。これじゃ「生きていく」どころの話ではありませんね。むしろ「文章に殺される」です。

「良い文章」とは何かということを考えます。それは突き詰めて言えば「【検索された言葉】に応える文章」なんです。異論はあるかもしれませんが。WEBという媒体においては、これが真実です。勿論SNSで拡散する時にはキャッチーなフレーズも必要になるでしょうし、そこから誘引されてくる人も勿論います。が、私のブログ(CTR4%)程度でも、検索流入が4割いるということを考えても、「何らかのワードの意味を求めて来た」人たちがそれだけいるということになります。なので、「良い文章」というのは、「その要求に応える」文章であるということです。

私はタグ分析やら何やら分析系を提供してきました。これからもすると思います。それは結局「タグ 効率が良い」とか「タグ 読まれる」とかそういう検索がされてくると予測した結果の記事なんですね。半分趣味ですけど。どういうタグが需要あるのか」なんて「小説家になろう」や「カクヨム」や「ノベルアッププラス」に参加してる人なら、誰だって知りたいじゃないですか。そういうことも考えて記事を作りました。これがある意味あたった。今でもかなりコンスタントにアクセスされています。ということは、これが「検索への応え」になっているということの証明でもあります。

たとえばちょっとGoogleでもYahoo!でもいいですけど「ブログ お金を稼ぐ」などで検索してみてください。クソみたいな記事が死ぬほど出てきます。逆に言うと、そのワードによる文章は、それだけ需要があるトピックだということになります。また、それだけ「応えやすい」検索クエリだということになります。方法論というものには「答え」がないですからね。「える」だけで、相手(検索した人)は「えてもらった」気になる。そういうものほど、検索ワードとしては人気がありますし、検索ワードとして人気があるということは、多くの検索流入を求めるブロガーが記事にする……そういう単純過ぎる仕組みがあるのです。

ぶっちゃけ、世の中の殆どの「方法論」を語ったサイトはクソみたいなものだと思います。そしてそうであるから、「検索する人」たちも、そのレベルの情報で納得してしまう。悪い意味で「そんなもんだろ」っていう慣れが出てしまっているのだと思います。誰もが情報発信できる時代。猿真似で金を稼げる時代。情報にあふれる時代。であるから、情報の価値は相対的に下がってしまった。みんなその低品質な情報で「なるほどね~」と思ってしまうようになった。質が下がっているのに気付かない人が増えた。「嘘を嘘と見抜けない人」が増えた。質は下がっているのに、「答え」をもらえた気になって、「疑う」のを止めた。私に言わせてもらえば、現今のWEB世界はディストピアです。

そんな中で「質の高い情報」を発する必要はあるのか

まずそこからサイトデザイン、コンセプトデザインが始まりました。結論としては「質の高さがわかるユーザをごまかさないようにしよう」でした。当然といえば当然の心構えなのですが、多くのブログはそこのところを実践できてない。「数多くの質の分からないビジターを取り込む」ことだけを考えているからです。生産性と品質を秤にかけた結果、前者を優先しているということです。まぁ、数としてはそういうビジターのほうが多いわけですから、「コストパフォーマンス」を考えるなら当然の帰結です。「答え」のような「応え」をしていればいいのですから、楽です。

勿論、「とても高品質なブログ」もたくさんあります。国内(日本語)だけで幾つあるのかわかりませんが、上位1割くらいは確かに間違いなく高品質です。私がよく見るのはITや資格試験に特化していたり、書評をしていたり、映画について書いているブログですが、行きつけになってるところはやっぱり品質が高いと思います。じゃぁ、何故私が「このブログすげえな」と思ったりするのかと考えました。

結果、「想い」とか「情熱」、言ってしまえば「好き」が詰まっている。そういうブログはたいてい面白い。「義務で書いてます」「広告収入目当てです」とかいうのが透けて見えるサイトは、意識して再訪することはないです。あと、技術系でよくあるのが「自分がわかってる情報を他人もわかっている前提で書く」ブログ。これはダメですね。訪問者を見ていない。こういう技術者が高慢ちきな態度で情報の発信(というか知識のひけらかし)をしているのを見るとイラっとします。検索エンジン汚しですね。

さて、「好き」が詰まっていれば面白いブログになり得る。というより、それが大前提だということがわかりました。「好き」なもの、「語れるもの」、そういうものが必要だということもわかりました。ブログはキャンペーンのランディングページとは違い、常に「生きている」ことを示していたほうが良い。つまり、ちゃんと更新していることが大事なのです。作者がちゃんと「いる」ことがわかるだけで、読者は情報に納得感を得ます。であるから、私は更新頻度も高くしていますし、Twitterなんかも連携させているわけです。そして「品質を求めると生産性が下がる」というものに対抗すべく、記事を作りました。スタートアップ時(5月)の記事数を見て下さい。狂気ですよ。11月も今の所1日だけです、書いてないのは。記事は見てもらえば品質はわかると思います。見てね。

私はこのブログを「文章で生きていく」とタイトルにしてしまうくらいですから、「文章が好き」です。発信するのが好きなんですね。インフルエンサーになりたい。私の声を届けたい。思いや理解に共感してもらいたい。そういう願望がある。だから、その一メディアとして「文章」を使いたい。それに、ある意味「文章を書くこと」こそが、私の唯一の武器だとも言えます。だから「好き」なことには事欠かない。

そして私は私自身を「小説を書く」という行為について語るのにはうってつけの人材だと思いました。30年以上、小説を書き続け、100以上の公募に参加したにも関わらず、未だ一度も受賞していないなのに書き続けている。これを「好き」と言わずしてなんというかと。なので、私は多分、日本国中を探しても十人二十人いるかいないかというような人材だと思っています。というより、私にしか発信できないだろう、こういう情報は……という思いでいるのです。

唯一無二。ですよ、公募に初めて応募した14歳(頃)から数えて早28年、殆ど欠かさず色々送ってきたのに、ただの一度も受賞がないんですから。それをこうして不特定多数に自ら明かしているのですから。ものすごく恥ずかしい。「俺には才能がありませんがなにか」と思っているととらえられても仕方ない。だけども、発信力を僅かでも上げ、このブログの唯一無二性を向上させるためには、常にそういうこともオープンにしなくてはならないと考えているのです。そのくらい自分を切り売っている。そこまでして「文章で生きていきたい」と思っている。

私は成功者ではない。
それはつまり、これから成功するということだ。

色々と発信している私が、いつか何らかの結果を出せる「かもしれない」。その「かもしれない」をリアルタイムに見てもらう。そのために、私はこうして発信を続けていこうと思うのです。やってきた人には、「応え」じゃなく「答え」を見せたい。やっていればうまくいく、続けていけば報われる、その姿を見せたい。成功していないからこそできること。成功者にはできないことをやろう。そう考えました。

そして、このブログの内容は、若い人には書けない。30年以上、バカみたいに頑張ってきた人間にしか書けない。30年小説を書き続け、何の成果もないまま、それでも書き続けてきた人にしか書けない。そういう意味で貴重なものになる。負け犬のブログ。そう言われても構わない。それならそれで唯一無二のものになる。本当にこの価値、この品質が知られれば、私は「文章で生きていく」ことができるようになるかもしれない。

そんなことを思いつつ、今日も記事を書きました。

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