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改めまして「シン・エヴァンゲリオン」の話。

エヴァンゲリオン

シン・エヴァンゲリオン。前回の記事で予告したとおり、ちゃんと書きます。冷静になったかな、私。正直言って、まだ興奮している感じがありますが、とりあえず行ってみよう。昨夜が初見で、二回目観てるわけじゃないので、ほぼほぼ記憶で書きますけども。

あ、あとやっぱり若干のネタバレは不可避なので、その辺OKな方だけ続きをどうぞ。

では、脳細胞がバシバシ発電してる勢いのまま、書きます。

シンジくん! あなた、シンジくんね!!!(いきなり)

何を当たり前のこと言ってんだって感じですが、シンジくん(前半)、めちゃめちゃシンジくん。あの「綾波を、返せぇぇぇ!!!!」なシンジくんは影も形もない。どっちかというとTV版のシンジくん。徹底的にシンジくん。25年ぶりだね、碇シンジくん(CV:石田彰)って気持ちになりましたよ。最後の最後で、あのバカシンジが帰ってきた!!!! もうね、普通ならイラっとするところなんだけど、これが終盤のカタルシスにつながるんだと思うともうゾクゾクしましたね。終盤覚醒は「まちがいなく」起きると思ってましたから!!!! 僕は信じていたよ、シンジくん!!!!

あと序盤ほとんど喋らないシンジくん。緒方恵美女史の「呼吸の演技」がやばかったな! シンジくん!!!(うるさい 緒方女史の演技がやばいのはもうTVの頃から知ってるんですけど、今回は限界突破してたなぁ。序盤、中盤、終盤、最終盤とどんどん進化していくんですよ、シンジくん。顔つきも変わっていくんだけど、声も確実に間違いなく変わっている。圧巻の一言。最後の最後は……は置いときましょう。ふふふ。

シンジくんについてだけ語っても1万文字くらい行きそうですけど(そのくらいシンジががっつり主役だった)、他のキャラもね、この三時間にも迫る劇中で「無駄なく生きてた」。キャラ立ちっていうんですが、コレがホントマジですごかった。すげーしか言えませんが、語彙力崩壊しちゃってるので許して。生きてたといえば、ケンスケとトウジ。もうね、あたしゃてっきりニアサーで……と思ってたから。と言うか、この感覚って完全に「シンジとシンクロ」してるんですよね。ほんとやばい。庵野秀明監督ヤバイ。観てる私と妻は呻きましたね、呻いた。ほんとに。

登場人物それぞれについてもめっちゃ語れるんですが、確実にネタバレ不可避な状態になるのでぐっと我慢しつつ書く(書くのかよ)

アスカ!!!! アスカさん! 惣流アスカラングレー!!! じゃなかった、式波!!! ええええ、マジで、アスカ!? え?!?!?! ってなりまくりで、アレがアレした時にはもうアレで!(言えない そして宮村優子女史の真骨頂って感じがしましたよ! すみません、いにしえの声優ヲタなもので!!! シリーズで毎回お約束の「あんたバカァ?」ですが、このシン・エヴァンゲリオンで「最強のあんたバカァ」が。もうたまらない。やばい。

そして、アスカが物事を一番俯瞰して見ていた気がします(マリは別格として)。

アツイんですよね、アスカは。言動はとにかくクールなんだけど、その核心部分がものすごくアツイ。アスカ好きだなぁ、アスカいいな~。正直、今までアスカはレイやマリの「次」くらいの位置づけだったんですよね、私の中で。でも、今回三人揃って甲乙つけがたい(マジで)所に来ました。こんなに冷静に状況をみつつ、過去もどうにかして受け入れつつ、その次に向かって我が身の犠牲をいとわず突き進める人ってのはもう、なんていうの、主人公ですよ、主人公。しかもね、今回、マリを頼るんですよ、めっちゃ連携するんですよ。今までの「アタシ一人でもやれるのに!」じゃなくて、「お互いをちゃんと頼る」ことができてる。つまりこれ、すごい成長なんだと思うんですよね。発言にブレがなければ矛盾もない。勿論行動も伴ってる。かっけーなー!!! って既にシンジくんの分量を超えた。しょうがない、シンジくんを掘り下げるとガッツリネタバレになっちゃうんだから。

綾波レイ!!! くっそー、くっそー!!!! なんだよそんなんありかよ!!!! 何も語れない!!!!!!! ぼかぁ、ゲンドウに殺意を覚えたね。冬月先生がね、良いアシストしてたけど、ほんともう、なんなんこのジジイどもは。ゲンドウはアレだし。思い切ったもんだ。にしたって、綾波!!! でもそれを「そう」と知っていた(と思う)アスカは、それを最後まで抱え込んでたんだなぁ。アスカ強いなぁ。っていう感情を視聴者に持たせた時点で、庵野秀明監督の勝利。いやもう、庵野監督には翻弄されっぱなし。ちっくしょうめ。だがしかし、これでいい。

そして我が愛しのマリ。謎多きマリの正体は最終盤であかされるんですが、あまりにあっさり明かされていて、しかも「わからない人」には一生わからない明かされ方するんですよね。うん!!!! エヴァらしい!!!! これがエヴァ!!!! 知ってる人には分かる、知らない人にはわからない!!!! これがね!!!! エヴァンゲリオン!!!! 90年代アニメの手法!!!! ていうかガイナックス的手法!!!! これがあるからエヴァは爆発的に流行したの、当時。

全部は喋らない、全部は明かさない。というか「お前ら考えろ」と命題だけ与えてストーリーは先に先に……という。文学ですよね、文学。いや、哲学?

……とはいえ、このシンエヴァシリーズは「だいぶ丁寧に説明する」ようになったとは思う。TV版は完全に「俺のムーヴについてこれるか? ついてこられねぇやつのことなんざ知らねぇ!」だったんだけど、シンエヴァはところどころ要点をまとめてくれるセリフが出てくるので「ある程度はサポートしてやんよ」に変わってる。「ある程度」だけど、それが感受性爆裂成長期の頃エヴァで育った私にはちょうどよかった。見せ方がね、いちいちTV版や旧劇場版を受けていて、すごく「あ、これは!!!!?!??!?!?」って気持ちにさせられたんですよ。

で、マリは、旧劇場版には影も形もなかった人なんだけど、これがおっそろしく重要な役割を果たすんですな。もうこれは最後まで見てもらうしか無いんだけど、「新劇場版初登場」のキャラが「TV版・旧劇場版」を回収して回るんですよ、端的に言うと。リアタイ勢の猛者諸君はこと終盤のありとあらゆるシーンで「これはあれのあれだ!」って指示代名詞ばかりを心に思い浮かべていたはず。ていうか興奮で「あれ」とか「それ」とかの指示代名詞しかでてこなかったはず。全部まとめると「甘き死よ来たれ」! ですよ。もうね、いつ綾波がパンくわえて走ってくるかとヒヤヒヤした。おめでとう! ってオチがつくんじゃないかってめっちゃヒヤヒヤした。絵コンテの所(←)では正直冷や汗かいた。結局どうなったかはアマプラで観て! アマゾンプライムを!!!! 今すぐ契約して!!!! 観て!!! 観るしかない!!!! アマプラの回し者と言われても良い。エヴァは良いものだ!

もうね、ミサトさんとか加持とかその辺語りたくてしょうがないけど、そこはグッと我慢。だがしかし、ミサトさんはやっぱりかっこよかった……。「Q」で「なんなんおまえ!?」ってなったのは事実なんですが、「あ、そういうことだったの……」って。コレもまんまとしてやられたなっていう。庵野秀明監督最強かよ。完全にシンジになっちゃいますね、視点が。気付けばシンジ。俺がシンジだ。いや、すげぇものを観せられてしまったなぁ。

ヴンダーの面々も実に良かった。特にあのギャルっぽい子。おまえ、すげぇやつだったんだな!!!! その執念とか行動力とか、ちょっと惚れそうになった。ただのギャルじゃなかった。あと鈴原サクラ。もー、わたしゃ終盤おまいにグラっときたよ。そうだよなぁ、つらいよなぁ。憎しみだけで動けたらまだしも、そうじゃなかったんだよなぁ。うんうんって。彼女の中ではシンジはヒーローなんですよ。圧倒的なヒーロー。にもかかわらず、ニアサー引き起こされて色々失わされて、エヴァには乗るなって言ったのに乗ってしまって。それが仕方なかったということは、サクラの頭脳なら分かっていたはず。だけど感情が追いつかない。それがあの「震え」だったのかなと思うと、もーつらい。ちくしょう、庵野。あんたすげぇやつだぜ。

キャラクター一人一人書いてってもいいと思うくらい、ほんとことごとく濃いのです。キャラクターがあってこその物語――というのは、小説書き的には当たり前なんだけど、それができてない作品って結構ある。「それなりに」はできていても、読み終わった後に名前も思い出せなければイメージもできない、キメ台詞も思い出せない……なんて主人公キャラは結構いる。大御所作品でだって珍しくない。勿論小説とアニメは違うんだけど、キャラ立ちしてなかったら観終わって3年もしたら忘れちゃわない? すごいアニメって、主人公やヒロインって記憶にこびりつくよね。たとえば「まどマギ」観た人は、まどかとかほむほむとかさやかとかマミさんとか杏子とかQBとか忘れる人いないよね。「トトロ」観た人でサツキとかメイの名前を忘れる人はいないよね。そういう意味でやっぱりキャラって大事だなと改めて。

そしてなにより(既に↑でも書いてるけど)、この四半世紀リアタイ勢を喜ばせたのはね、『旧劇場版』をがーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとWeaving A Story(TV版お馴染みのWeaving A Storyですよ)してたところ。旧劇場版は完全に葬られた存在かと思ってたんだけど、それをね、「あ~~ッ!!!! こ、これはあの!!!」っていう。脳内ではずっと「甘き死よ、来たれ」ですよ。”Komm, süsser Tod” ですよ! 終盤ずっと脳内でこれ再生。もうあらゆる気持ち悪さとカタルシスとなんやらかんやら全部ひっくるめて「これこれ、これだよこれ、これがエヴァ!」て。

勿論、25年の時を経ているわけですから、視聴者へのアプローチも「エヴァらしさ」を残したまま「進化」してた。もうね、「見せ方」がとことんすごい。めちゃくちゃかっこいい。どこにも無駄がない。洗練、ソフィスティケイテド。絶賛ですよ、一式さん絶賛。大絶賛。シナリオやらの専門的なところの話とか講釈とかどうでもよくて、もう観ててワタシは大興奮。同じくリアタイ勢の嫁も「ほわぁぁ」とか言ってたので多分そうだったんでしょう。いやはやとんでもないものです。

この「新劇場版」から入った方も多いと思いますし、それも古のエヴァファンとしては大変うれしいのだけど! だけど!!!! この「シン・エヴァンゲリオン」は、ワタシはね! あくまでワタシは! 「リアタイ勢、四半世紀ありがとうな! 完走おめでとう! おめでとう! おめでとう!(パチパチパチ」って感じで作られた側面もあると思ったのですよ!!!! 私の十代の頃からの記憶が走馬灯のように脳内を駆け巡ったものです(死ぬのか?

ぶっちゃけ言いますと、初見の今では理解率はまだ6割くらいだと思います、ええ。んー、6割いってればいいかな? みたいな。でも私たちよく訓練されたエヴァファンは2回視聴はデフォ、3回は普通、5回で中堅だと思っているので(私だけか?)、6割が3割でも驚きません。とにかく、とにかく、それだけの価値のある情報だと思いました、エヴァンゲリオン。もう圧倒された。圧倒ですよ圧倒。神は細部に宿ると言いますが、ほんとこれ。勿論細部じゃないところは明らかに神の仕業なんですが、細部もどこをピンポイントで見ても無駄もなければ隙もない。ついでに息つく暇もない。膨大な情報の津波に襲われながらもその一要素要素を映像に負けない速度で検証・理解していくわけです。勿論到底追いつかないんだけど、それがまたいい(よく訓練されたエヴァファンなので)

私はもう物語を作ることはないと思いますから「コレを超えたい!」とかいう願望はもう湧いてこないんですが、それでも滾るものはありました。すごいものです。実に良いものです。これはもう、新劇場版一気見するしかない。

思えば「エヴァンゲリオン」は私の青春時代に、私の感性の重要な部分を形成してくれたものの一つです。ちなみに同時期に発売されたゲーム「Xenogears」がもう片翼。私が神話や、心理学あるいは哲学に傾倒するようになったのも、エヴァンゲリオンとゼノギアスの影響です。あとネットでめちゃくちゃ調べ物するようになったのもこれらのおかげ。これらのおかげで今があると思うと、「エヴァンゲリオン」の完結はやっぱり感慨深い。エヴァは「ちゃんと」終わった。最高の終わり方をした(と思う) この「ちゃんと」の意味は最後まで見たら分かると思う。ネタバレ極力回避の方向だと具体的にかけないからどうしてもふわっとなっちゃうところがアレなんだけど、とにかく「全部、畳まれた」と感じましたよ。で、一つの時代が終わったな~と思うわけです。すべてを含めて実に素晴らしい作品だった。

庵野秀明監督と、エヴァンゲリオンを終わらせてくれた関係者の方々には感謝しかない。

で。

ネオン・ジェネシス」がようやく始まったのだなぁ!

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