まずは下記記事でも見てみて欲しいのですけどね。1万作品分析はほんと大変だったんだから!(笑)
さて、短編ですが、私も書き始めてそれほど経ってないんですよ。なので「こうしたら読まれる!」とか「こんな書き出しが良い!」とか言える身分ではないのであしからず。タグとかデータで言えることは言えるんですけどね(↑記事とか)
なので、私が短編を書く場合のオーソドックスなやり方をご紹介したいと思います。これなら知ったかぶりにならないぞ。
決めること
だいたい以下の1~5を順に決めます。どんどん縛りを付けていく感じですね。
- 所要時間(1文字0.5~1.0秒程度に設定することが多い)
- ジャンル(SF、現代ドラマ、ホラーあたりが多い)
- 一人称 or 三人称(これはサイコロふって決めても良いくらい)
- 登場人物(全部で2~3人てところかなぁ。しっかり決めます)
- ストーリー(以下で解説)
ストーリーの作り方
終わりを決める
短編ですから、長くても5000文字くらいが勝負所。個人的には3000文字以内を推奨したいところ。どうせ短編にするなら、無駄をしっかり省いてしっかり読後感を残したい。匿名短編コンテストの1000~2500文字なんていうレギュレーションは絶妙だと思います。無駄を入れる余地がないので。なので、2500文字、長くて3000文字で終われる、くらいの作品を創りましょう。
文字数が少ない=難易度高い、と思ってもらっても構いません。その中でどう展開するのかを考えるんですが、「起承転結」や「序破急」は実はあんまり重要じゃないと思っています、私は。というのも、匿名コンテストを通じて百以上、その他の分析のための抜粋短編数十作品を読んでいて思ったんですが、「心に残る作品」=「構成がしっかりしている」わけじゃないんですよね。背骨はがっつり入っているんですが、それだけというのが目立つんです。起承転結がしっかりしてる作品は「うまいな」とは思うんですが、一週間経って覚えているかというと微妙。叩きつけるような、あるいは語り掛けるような、そんなマインドの感じられる作品の方が強いんじゃないかなと。
というわけなので「背骨」をしっかりするためには、作品のコア、短編で言う所の「ラストシーン」。ここをしっかりする必要がある。なので、上記1~4でしっかり縛りをつくった後で、ひたすら考える。物語の最初から最後までをなぞっても良いし、ラストシーンを強くイメージしても良い。とにかく、「ラスト」を考える。どのように〆たいのか、読後感に何を残したいのか。そこだけ考えます。
ここでがっちりと映像的イメージができれば短編作品はできたも同然です。
設定時間以外を考え直す
「ラスト」が決まるまでに何分間か消費しているはずです。そこもしっかりメモっておきます。残り時間何分ですか?
今度はその残り時間で、上記の2~4を考え直します。ラストシーンに相応しいように、縛りを解いていくのです。思い描いた美しいラストシーンのためには何を犠牲にしても構いません。が、時間だけは動かさないようにした方が良いです。理由は後述。ただ、設定を変えるとしても、それは全てラストシーンのため。それ以外の目的での変更はしません。ラストシーンは絶対動かしてはいけないです。動かすなら最初の1~5をもう一度考え直しましょう。
なぜ時間を動かさないのか
「設定時間」を動かさない理由は単純です。「終わり」を決めるためです。作品にかけられる時間は、デフォルトでは無限です。死ぬまで1作品に投じることも可能です。が、それで何か得られるでしょうか。というわけなので、「〇時間経ったからここで終わりにしよう」と終わりを客観的に決めるために設定するのです。さもなくば「これでいいのかな」「もっとよくなるかな」などと考えてしまって、いつまでも「投稿」に至らないからです。「投稿(完結)」させなければ、いくら書いてもWeb界隈では意味がないのです。観測されないものは存在しませんからね。
「時間」というのは創作を行うにあたって最も大切な要素です。短時間でたくさんの作品を創り送り出せるというのはそれだけでアドバンテージになります。粗製乱造じゃないですよ。きっちり考えて作れば「粗製」にはならないはず。
ひたすら書く
短編ってそれ専業にしてる人なら別ですが、これ大事じゃないかな。それは「ひたすら書く」こと。背骨がしっかり定まっていればがりがり書けるはずなんですよ。書けないってことは(時間オーバーを含め)、まだ背骨が弱い。タイピングスピードももちろん影響しますから、これも特訓ですね。速ければ速いほどいいのでいくらでも訓練しましょう。
先述のように起承転結だのなんだのというセオリーは、余裕が出てきた時に考えれば良い要素だと思います。型(作法とも呼ぶか?)を知っておくのは大事ですが、型を知らなければ短編が書けないかというと、そんなことはありません。自由に書けるのが小説であり、自由であるべきなのが小説です。その結果読まれるか読まれないか、評価されるかされないかは全く別問題です。
「短編を書く」という命題に対する答えとしては、これで十分だと思います。
- 書きたいと思う事
- 書きたいことを決める事
- わき目もふらずに書く事。
要約するとこんな感じ。他人の目を気にするのは何十作品と書いた後でも遅くないと思います。まずは脳内に物語が自然と出てくるように訓練すること、それを自然に文章化できるように訓練すること、それを自然に形にすること。
ポイントは「自然に」ですね。短編は難しいです。が、ひねり出すようなものばかりではないのです。自然にするりと書ける作品があるはず。いきなり生みの苦しみを味わう必要はないと思います。こんなシーン書いてみたい、思いついたこの情景を形にしたい、こんな思いを書き出してみたい、そんな衝動からくる作品の方が、案外心に残るかも知れませんよ。
しばしばある誤解に「苦しんで生んだ作品ほど素晴らしい」というものや「楽に作った作品はたいしたことない」というものがあります。これって大いなる誤謬でして。さらっと書いた作品が評価されて、命削った作品がそんなに……なんてこともざらにあります。この場合、客観的な第三者的評価の方が作品の質判定材料としては正しいので(大半はね)、「苦しんで作らなくちゃならない」という強迫観念がある人は、すぐそれを捨てましょう。
苦しんで1作品創ってる間に、サクサク10作品書いた方が、精神の健康的にも良いと思いますし、「評価される」確率も上がります。愛情と信念をもって創ることさえ忘れなければ、作者が苦労しようがしまいが関係ないんです。その点誤解なきようにやっていきましょう。
それでは良き執筆ライフを!
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