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自分はいったい何になりたいのか

エッセイ

自分はいったい何になりたいのか。一つだけ決めろ。

そう言われたらどう答えるかなぁと自問自答したりします。一つっていうのが難しい。

今までは一も二もなく「書籍化作家」って言っていたと思うんですが、なんかふと「ちょっと違うな」って思い始めたんですよ。先日からなんか小説が書けない病が続いているのには、実はそういう裏側があったりするんです。でも「文章は書きたい」から、ブログとかめっちゃがんばって更新してた。

いつもだとせいぜい2~3日で「小説書くぞー!」となっているところなんですが、今回、全くそうならない。あれれ?

……というわけで、冒頭の自問自答に戻るわけです。もしかして俺、諦めたんか? みたいなことも思ったりするし、あながち否定できないところはあるんです。「カクヨムコン5」で結果が出せなかったらやめようかなとかね。でもこれって正直今に始まったことじゃなくて、毎回、公募だのコンテストだのに挑戦する度に「今回でおしまい」って思っていたりするので、多分今回もそれ。これからも書き続けるんだろうなとは思うし、書きたいものはいっぱいある。

なのに、なんか「小説を書けない」「物語を創れない」。いや、書き始めたら書けるのはわかってる。多分、1時間で最大6,000文字くらいは書ける。でも今は、いつもの内側からぐわーっと湧き出てくるようなモチベーションじゃない。着火剤突っ込まないと火がつかないくらい、湿っている。でもだからといって着火剤となるべき「カクヨムコン」では火がつかないし、自分で着火剤突っ込もうという気にもなれない。こういう時は創作には向かない。経験的に知っているから、書かない。絞り出すような駄文を書くくらいなら書かない。年とったのかな?

「書籍化」は成し遂げたい。でも、「売れない」のは嫌だ。そして今の業界、書籍(紙媒体、電子媒体)のニーズを考えても、それはちょっと難しい欲求なのではないかと。私はそもそも「私の物語を多くの人に届けたい」ということで小説を始め、自作のWebで公開し、今は大手投稿サイトに依存している。勿論、私自身、今の私の状態には満足していない。書籍化すれば数千人くらいの人には知られるだろう。だけど、そうじゃない。数千人が数万人でも、私は多分満足しないと思う。

収入のために書籍化……というのは考えなくもないけども、それをするなら「副収入」ではなくて「主たる収入」にならなければ、所詮は「副業」にすぎない。「お金」を得る「対価」として、「趣味」の地位を追われた小説を一生片手間に書き続けるのか。なんか違う。勿論、片手間ではなくて全力だ、わかる。そう言いたい気持ちもわかる。だけど、「主」を超えられない以上、それは「片手間」なんじゃないかと思うわけです。仕事と小説しかない人はそれでいいかもしれない。でも、私のような家族持ちはそうではない。「副」の時間の多くは家族に充てるべきだし、そうしたい。子どもは一瞬で育つ、かけがえのない存在です。だから、仕事から帰って小説書いて寝て仕事行って……というのでは「家族」の意味もない。趣味で書いているうちは、いくらでも融通は効く。けれど、それが「副業」とはいえ「業」になってしまったら、そうはいかなくなる。

だったら「主」にするようにがんばれよ。

わかる。がんばりたいし、「主」にしたいと思ってる。未だ受賞経験の一つもない身なれども。

でも「主」にするために捧げるのは、自分じゃなくて「家族との時間」。失敗しましたでは済まされない。勿論、書籍化最初の作品でメガヒット、次の作品でもメガヒット……ともなれば別。喜んで「主」にするだろう。けど、最初の作品で「5桁部数行くか行かないか」だったら、どうだろう。数十万円程度の印税を引き換えに、何を得て、何を失うだろう。それを考えた時、「書籍化って、実はものすごく非合理なんじゃないか?」って疑問が湧いてきたんですね。正確には「今の状況(社会的・業界的・自分的)を考えたら」っていう枕が付きますが。

数日前の話ですが、気付いたんですよ。私はつきつめれば「インフルエンサーになりたい」と思っているということに。出版社から書籍化というのは、ある種承認、オーソライズされたということですから、発信力は強化されます。が、現今の状況を考えると、メガ(百万)単位の発信力にはほぼ確実にならない。その時点で「書籍化を目標に据えるのはまずくないか?」というところに思い至りました。年齢的にもね。

目指すは「インフルエンサー」。発信力を際限なく上げていくこと。誰かと競うつもりはないけども、「私が伝えたいことを、私が思う範囲の人に、思ったとおりに伝えたい」というシンプルな目標です。じゃぁ、どうしたらいいかって考えたんですよね。インフルエンサーになりたいって言ってなれるなら苦労しません。でも、「インフルエンサーになってから本出したらめっちゃ売れるじゃん」ていうことにも気付いてしまった。いまさらですが。その「めっちゃ」がどの程度なのかは私にもわかりませんが。

さらに、出版業界とか流通の仕組みにイライラするくらいなら、「私が変えればいいんとちゃう?」ってことも思ってしまった。それも発信力があれば手くらいはかけられるかもしれない。てことは、「なにか」すればいいんじゃないか? と思ったわけです。今までは「なにか」しているようで「なにも」できていなかった。実績も何もない。つまり、40年以上空白の人生を送っていたようなものだと気付いてしまったわけです。

このネットの片隅から「インフルエンサー」になるためには、今この年で「意味のある影響力」を持てるようにするためにはどうすればいいのか。見えない所でごそごそと動きつつも(色々やってる)、非常に悩んでいる所です。

「書籍化だけ」を見ていた私ですが、この冬、少しだけ進化できた気がします。もしかしたらまだまだずっと「ため」の時期なんじゃないかなとかも思ったりしています。「ため」たまま死にそうな気もしますが、それはそれで。来年は厳しいかもしれませんが、再来年(2021年)には今のこっそりトライアルの結果は出ます。その時までに何も変わっていなければチャレンジ失敗です(笑) こればっかりはわからない。でも、思いついた以上、やってみなければ後悔する。それは間違いない。だったら、全力でやって意味のある失敗をしたほうがいい。成功できればなお良い。「宇宙兄弟」でもありますよね。「本気の失敗には意味がある」と。なので本気です。

私のチャレンジは、失敗してから種を明かしたら「ばかじゃねーの」って言われる類のものかもしれない。でも、私は、他人のチャレンジを笑う人にはなりたくない。いわんや失敗をや。そういう人にはなりたくないから、思いついたら真っ先にやる。成功するとわかってやることはただのルーティンワーク。それはそれでいいかもしれないけれど、「現状維持」しかできない人間にはなりたくないし、「現状維持」は「退化」に等しい。↓でも書いたように。

私はどうあってもクリエイター。「他人の成功」という「模倣」をするのが賢い、それが当然だと言われるのは拷問だ。勿論「その成功」からはきっちり学ぶ。学んだ上で踏み台にしたり、敢えて反発したりして、想像力を持って歩いていきたい。「創造者」は「模倣」ではなく「学ぶ」べきだし、「繰り返し」には「疑問を覚える」べきだし、「当然」には「何故」と反発するべきだ。

創作界隈をネット黎明期から数えて20年以上見ているけども、どうにも「創造者(クリエイター)」たちは「想像」しない。当然、その先にある「行動」もしない。頭で考えて終わっているだけに見える。だからこそ、この旧態依然とした「出版業界の常識/システム」というのがあるんじゃないかって思う。

私はそこに反乱(上手く行けば革命だけど、上手くいく事自体は目的じゃない)を起こそうと思っているのだが、できるかどうかは再来年まで待って(笑)

でも、その前に書籍化したら日和るかもしれない(笑) こればっかりは書籍化したことがないのでわからない。

どうあれ「32年間積み上げ続けた夢:書籍化」は「どこかで叶える夢」に変わってしまった。叶えることは must なんだけど、それは別に10年以上先でもいいかなって。その前に今の時代に必要なのは「発信力」。出版社を通さなくても、自分の発信力だけで食っていけるようになればいいわけだよね。まさに「文章で生きていく」ということになる。

なので、「一つ」なりたいものを挙げるとすれば、やはり「インフルエンサー」。誰もが「一式鍵? ああ、知ってるよ」っていうような知名度。日本の出版業界のような小さな世界ではなくて、もっと広いボーダレスな発信力。これこそが今の時代に一番必要なモノだ、と、思ったりするわけです。出版社に「発行してもらってる」ではなく、「発行させてやってる」とならなければ、創作者は(上位のごく一部を除き)幸せになれないんじゃないか。そんなことを思うわけです。

もっと言えば、もう「裏方」になるべき時が来たのかな。そんなふうにも思うのでした。

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