売り手が腐っていては、林檎は売れない

エッセイ

本エッセイは、カクヨムでも掲載されているものを少しアレンジしたものです。
カクヨム版はこちら

売り手が腐っていては、林檎は売れない

はじめに

自分の作品に評価がつかない。
それは自分の作品が「悪い」から?
だから評価がないのも「仕方ない」?

そんなことで、いいんですか?
それで、いいんですか?
凹んでる暇なんてあるんですか? あなたは腐った林檎を売ろうとしていたんですか?

その「作品」、あなたが時間知力を絞り出して創ったものなんじゃないんですか?

まずは……

一応【カクヨム】に関する話……ですが、小説のみならず、クリエイターを名乗る or 名乗りたい人々にとっては、普遍的な話でもあります。一般論とも言う。たぶん。

これは間違っても創作論の類ではありません。そんな大風呂敷は広げませんし、私自身、「論」を書けるほどの実績があるわけじゃありません。しかし、私も小説書き書き三十数年。いろいろな悩みと共に歩んできました。自分の作品に対して諸々の事情によって「疑念が生じた」「自信が持てなくなった」——わかります。私にもそういう時期がありました。なので、今現在、そんな風になってしまってる人々の助けとなればということで、ひとつ「考え方」を書いてみようと思います。

鳴かず飛ばずは当たり前

血を吐く思いで作品を創って発表しても、多くの人の場合、鳴きません。飛びません。何十万文字書いたとしても★100個に到達できる人なんてほんの一握り。しかし、仮にその★100オーバーの一握りの人になれたとしても、鳴く・飛ぶの基準は人それぞれですし、個々人の中でさえ変わりゆくものです。

例えば★が500個つくかと問われれば、投稿作品の圧倒的多数は否です。それら、★500個未満の作品は、たぶん、鳴いてませんし、飛んでません。斯く言う私もこれっぽっちも鳴いてませんし、飛んでません。小説に限って言えば、2019/5/3現在、「セイレネス・ロンド」の★143が最大値ですからね。書籍化とか夢のまた夢な数値です。カクヨムでは★1つ増やすのにも並々ならぬ苦労が必要なのです。♥は意外と増えるんだけどね(笑)

だがしかし!

ここで腐ってはいけません。腐ると、あっという間に負のスパイラルに陥ってしまいますから!

自分の創ったものを信じること

宗教の勧誘のようになってきましたが、何食わぬ顔で続けます。

ネガティヴなオーラに人は敏感です。誰も近付こうとはしません。自作品を卑下するなんてもってのほかです。作者自身が自信をもって薦められないものなんて一体誰が読むでしょうか。読みませんよ。「つたない作品ですが」とか言いながらも「読んでください」というのは日本人的なのかもしれませんが、ひどく傲慢な話です。なんで私が「つたないもの」を読まされなきゃならないんだと。

そもそも自分自身が自信をもって、胸を張って薦められないものを他人様に「読んでほしい」と言うのは如何なものかと、思うのです。

本エッセイの趣旨からは脱線しますが、そもそも「読む」という行為は、「時間を使う」行為です。等価交換の法則に則るならば「読むのに使った時間に等しい価値」を「読まれた作品」は与えなければなりません。読むに値するだけの作品でなければ、読む選択肢に乗せること自体、ちょっと不遜な行為のように思えるのです。

といろいろ言いたいところですが、本作では「作品の価値自体」は敢えて取り上げません。それはその作品を読んだ人がすればよい評価です。ここでは「書き手のスタンス」についてお話ししていきます。

それが自社の製品だったとしたら?

例えば以下のように置き換えて考えてみましょう。

 「小説」 ⇒ 「システム(製品)」

あなたはシステムを苦労して構築しました。できあがったのでセールスに行きます。そして先方の担当者に言います。

そんなに自信ないですけど、作ってみました。ぜひ御社に導入してみて頂けますか」

このシステム、いったい誰が導入するのでしょうか。いや、それどころか、導入の検討すらしないでしょうね。自信があるなら自信をもってその点をセールスポイントにするべきですし、言うべきです。表明すべきなのです。もし自信がなくても、発表している以上は他の「自信作」たちと同じまな板の上に乗るわけです。

どうせなら否定的な自己評価ではなく、何らかの肯定的な評価を明示する方がよほど建設的です。セールストークとはそういうものです。「完璧なシステム」は存在しませんが、「ニーズに合致した必要十分なもの」ならいくらでも現実に存在します。

「小説」に話を戻せば、たとえそれが万人受けする作品ではなくてもその作品がフィットする読者がいるハズ……なのです。少なくともあなた(著者)自身にはフィットしていますよね? 書いてて楽しくなかったですか? 楽しかったはず。誰よりも最後の句点「。」を打つのを楽しみにしていたはず。「どう終わらせるか」に悪戦苦闘したんじゃないですか? それは多分、自分自身が納得するためですよね。

とにかくも、あなたにフィットしているということは最低限一人、そこにいるわけです。ならば二人、三人、あるいは実は数万人の隠れ同志がいたとしてもなんのおかしな話でもありません。確率の話です。

とにかく自信を持つのが最優先

自信を持てよ」……と言われても、自作に自信を持てないことがあるかもしれません。

ですが、持ちましょう、自信を。根拠がなくても自信を持ちましょう。根拠なんか要らないんです。自信は後からついてきますし、場合によっては結果もつれてくるでしょう。

小説の最低限のルールを守り、体裁を整えることさえできるのならば、後は発想の勝負です。そういう世界です。小説というのは、抽象的・主観的な評価の世界なんです。

文章が下手でもウケるものはウケます。そして高い評価が得られるのです。

つまり、大多数の人にとって精緻な表現や、正確な文法などは評価の対象ではないということです。敷居を高くする必要はありません。自己評価の合格ラインを上げていく必要なんてないんです。

文学畑の人(私とか)にとっては嘆かわしいことではあるのですが……これが現実です。残念なのか喜ばしいのか、うーん、どちらともいえませんが、まぁ、現実ですし?

セールスポイントを明確に

どうしても自信が持てない。そんな場合は、自作品を3回くらい「改めて」読み直しましょう。漫然と字を追うのではなく、探すのです。

こじつけでもいい。セールスポイントを考えてください。見つけてください。

「ふとももフェチな人は喜ぶ」とか「脇に興奮できる人なら共感できる」とか「シスコン万歳できる」とか、不純でも強引でもなんでもいい。

え、たとえがひどい? 知るか。

話を引き戻し。

で、「セールスポイント」を考えた結果、異様にニッチな感じになってしまった……なんて事になる可能性もありますが、それはそれでセールスポイントです。万人に刺さる作品よりも、少数精鋭に深く突き刺さる作品の方が良いと思うのです。その「受け皿」に見合った評価が得られればいいのです。

潜在読者が100万人のジャンルなら、1万人から評価を得られても大した人気とは言えないかもしれません。ですが、潜在読者が1000人のジャンルなら、100人からしか評価が得られなかったとしても……あとはわかるな?

そもそも、潜在読者の数が違うのに、評価の数(「カクヨム」なら★、「小説家になろう」ならpt)だけで『作品自体の優劣』をつけるのは愚かしいことです。私はそう思うのです。

さぁ、自信を持つ覚悟はできたか

そうです、自信です。日本人は総じて、自分に対する評価が低い。自信が持てない。……と、言われています。

ですが、先にも述べたように自分の作品に自信がない場合、それは誰にも売ることはできないのです。購入の検討にすら入ってもらえない。ただ腐っていくだけです。いや、腐らせていくだけです。

作品のトップページにすら、誰もやってきてくれないということです。せっかく作品トップページにやってきてくれたとしてもですよ、そこで妙にへりくだったりしていると途端に興がそがれてしまう可能性が……あります。

キャッチコピーや紹介文でもガンガン押していきましょう。

たとえその作品が「ニッチ」でも良いんです。そのニッチな読者を逃がさなければ。万人受けをメディアは求めるかもしれません。が、ニッチな人々はニッチな作品をこそ求めているのです。そこを勘違いしてはいけない。あなたは誰の方を向いて作品を創っていますか?

チャンスは広く

二人の人がいます。
 ・しかめっ面な人
 ・なんだか楽しそうな表情の人
多くの人はどちらに集まりますか?

後者ですよね。

たとえ心で泣いていたとしても、たとえ本心は(評価されなさ過ぎて)腐ってしまっていたとしても、笑顔な人の所に人は集まります

幸い、カクヨムならば(ジャンルにもよりますが)短期間で★の10個も集まれば人目に触れるところに行けます。

いきなり★10個は厳しい……ように思えるかもしれませんが、魅力的なレビュー文を一つもらえれば、連鎖的に★が貰える可能性があります。決して無理な話ではありません。

誰にでもチャンスはあるのです。ランキングとかそういうのだけに頼るのではなく(受動的でいるのではなく)、SNSを使ったセルフプロデュースや他の人たちとの交流、そういうものも使うべきです。腐ったり躊躇したりしている暇なんてないんです。だって、あなたが手塩にかけて育てた作品がそこにあるわけですから。コミュ障を理由に我が子を殺しますか?

それでも腐りたくなる

評価されない、読まれない。

腐りたくなるシーンは多々あります。心情も理解できます。私だって三十数年鳴かず飛ばずです。評価はされても目標には届いていない。受賞歴ゼロですからね。

ですが、作者が腐ってしまうと自作品も腐ってしまう。腐ったもの(商品)に対して自信が持てるはずがない。生産者本人ですら自信が持てないものを他人が手に取るわけがない。

だから腐ってはならないのです。

自分を信じる、自作品を信じる。自信を持ちましょう。自信に根拠なんて必要ありません。こじつけたもの勝ちです。

そこまで自作を愛せるのなら、人はそこに集まるようになるでしょう。

ゾンビと美乳美女

人が集まった結果、手に取ってもらった結果、「やっぱりダメだったわ」と言われることがあるかもしれない。誰一人として、ポジティヴな評価をくれないかもしれない。

でも、それならそれでいいんですよ。誰にも見てもらえないのとは意味が違う。マイナス評価も財産です。セールスポイントを見直すなりブラッシュアップするなり、次の作品に生かすなりできますから。

最悪なのは、腐ってしまった結果、誰も寄り付かなくなり、誰にも読まれることもなく、当然評価されるようなこともなく、ただ静かに埋もれていくケースです。海でそっと溺れるような感じですね。

これだと溺れた経験すら、何にも生かすことはできません。成長の糧にすることができません。率直に言って、無駄作品になります。無駄なものになってしまいます。

良いんですか? あなたが時間と知恵を駆使して生み出した作品が、そんな「無駄」になってしまって。自らの手で無駄にしてしまって。

やるだけやり、売り出すだけ売り出し、それでもだめなら原因を考える。腐ってしまってはいけません。腐ってしまえば、他の作品にすら波及します。腐ってる暇などないはずです、本気でやっているのならば。

そもそも、誰も寄り付かなくなった作家の作品に。一体誰が目を止められるでしょうか。観測されぬまま静かに消えていくだけ、になっちゃいませんか?

腐らず、ポジティヴに。

心でどう思っていてもいいんです。どうでもいいのです。「相手に」「どう伝えるか」が大事なので。あなたがどう思おうと関係ない

手に取ってもらえたら、ようやく! ようやく、内容で勝負ができます。「腐る」ということは、手に取ってもらえる機会を自ら喪失してしまっていることに他なりません。

ゾンビが売ってる林檎なんて、どんなにおいしそうでも買うはずがありませんよ。同じ林檎でも、美乳(≒巨乳)美女が売っていればそりゃ手に取りますよ。

手に取ってもらって、初めて価値が評価される。そんなものです。そして、人間の心理に則ると「自ら手に取ったもの(読んだもの)」には「肯定的な評価」をすることが多いのです。

自作品の最大のサポーターは、己だ

皆さんもどんどん前に出てやっていきましょう。誰にも知られないというのは、その時点で敗北です。戦わずして。自ら作品を埋もれさせる必要なんてないんです。スコッパーさんに見つけられるのを祈ってる場合でもないんです。例えば私は「カクヨム小説wiki」に参加していますし、「セイレネス・ロンド」に至ってはドメイン取ってWebサイトを作ったりもしました。これでもまだ足りないかなと思って、「令和短編アンソロジー」という企画に乗って、関連作品(短編)をUPしたりもしました。

また、このサイト(今あなたが見ているここ)を立ち上げたのも、プロモーションの一環です。やれるだけやろうと決め、そして動き出しているのです、私も。ここまで私はずいぶん時間がかかってしまいましたが、皆さんはさっさと動いた方が良いと思います。企画力・提案力・営業力、その全てを動員して、自分の作品の最大のサポーターになるべきなのです。

「カクヨム」や「小説家になろう」「エブリスタ」「アルファポリス」……色々ありますが、WEB小説の発展には、数多くの作品が必要です。「目に見える作品」が、です。切磋琢磨して、頑張っていきましょう!

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