クリエイタ―が陥りがちな「自己肯定感」の罠。当ブログでも幾つかの記事で書いてきましたが、クリエイタ―である以上、自己肯定感は必要です。あ、天才はお帰り下さい。ここは大多数の凡人の場です。
「自己肯定」とは?
よく「自分は自己肯定感がない(持てない)」などという人がいます。自分の言葉や行動を肯定しない・できない。他人から褒められてもなかなかそれをまっすぐに受け止められない。「いやいや自分なんて」というように、否定から入ってしまう。そんな人が数多くいます。
さて、「自己肯定」とはそもそも何なのか。まずそこから入ってみましょう。
私流の解釈になりますが、「自己肯定」というのは、「自分の価値」を適性に評価し、それを表出することです。残念ながら現代の人間社会というもの、孤独でいることはまずもって許されません。それが出来る人は、ごく限られた一部の人なので、我々多数派の凡人たるものは、「孤独ではいられない」という事実をまずは認識して下さい。
この意味において、『「自分の価値」を適性に評価し、それを表出すること』のパーツは「二つ」あります。
ひとつめ
一つ目に、「自分の価値」を適性に評価すること。
「自分の価値」、ここでは「プラス(ポジティヴ)」な価値を指します。ところがですね、人間って「マイナス(ネガティヴ)」なものには目が行くんですが、「プラス(ポジティヴ)」なものに目が行くようになるのには、訓練が必要なのです。ましてや自分自身の「プラス(ポジティヴ)」なものは普通に生きてると見えないんです。
「プラス」と「マイナス」の境界面って何かっていうと、「自己評価の基準値」です。「このくらいはできていたい」「このくらいできなければならない」という want to やhave to によって作られる境界面なんですね。人はこと、自己評価になると辛口になりがちです。中には甘口、大甘な人もいるにはいるのですが、「自己肯定感」がない人(あるいは育ってない人)というのはほぼ例外なく辛口です。というか、甘口な人って、この記事読まないですよね。
自己肯定感がない人
でも、自己肯定感がない人というのは極めて打たれ弱いです。なぜなら自己肯定感がない=自分をマイナス評価している、ということだからです。「HP0」状態なわけです。
いやいや、プラスでもマイナスでもない「ゼロ評価というのもあるだろう」というご主張はごもっとも。しかしながら、「自己評価」というのには、常に右肩下がりのバイアスがかかります。ということは、「ゼロ評価」は遠からずして「マイナス評価」になるというわけです。ですから、自己評価の基準値は「甘め」にすべきなのです。大多数の凡人クリエイタ―たちは、「俺すごくない!?」と思う瞬間がなければ、クリエイティヴな活動を長続きさせられません。
しかし、「甘口」まで行ってしまうとただの身の程知らずになってしまいます。あくまで「甘め」。どのくらいが適正なのか、これを数値化するのは難しいのですが、「自分の作品を書いてる最中(読みなおし中でも)」に複数回「俺すごくない!?」が発生する程度でしょうか。そして書きあげた瞬間にはその出来不出来はともかく置いといて「完結させた俺すごい!」と自分を持ち上げるくらいです。そこには根拠なんて要りません。作品を書いている事実、書きあげた事実を評価するわけですから。
人の自己評価は放っておくと下がり続ける
先に述べた通り「自己評価」は常に下がり続けます。何かきっかけがない限り永遠に落下し続けます。その「右肩下がりモード」を「現状維持モード」に変えるために必要なのが、「適正かつプラス(ポジティヴ)な自己評価」なのです。つまり「自分を正当に評価する」ということ。
マイナス(ネガティヴ)な評価は誰にでも出来ますし、黙っていてもしています。が、「プラス(ポジティヴ)」な評価は意識しなければ出来ませんし、まして適正なプラス評価は、訓練しなければできるようにならないのです。
どうしたら自己評価が上がるのか
「プラス(ポジティヴ)な自己評価」をするために必要なのは、上記の通り、「甘め」の評価基準です。そしてそこを突破した要素に対しては徹底的に褒めるのです。自分も、他人も。この「他人も」という所がポイントで、「自己評価の基準値に照らして他人はどうなんだろう」と客観的に評価することで、「自分に対する評価」も変わっていくのです。自分の評価基準が、甘すぎるか辛すぎるかが見えるようになるわけですね。
でもって、そうして他人を評価してみた時に、「自分の基準値をはるかに超えている!」と思う人のことは目標にすればいいし、「基準値に足りてないな」と思う人と出会ったなら「どこがどうして足りてないのか」を分析する対象にすればいいし、とにかく「他人を自己評価の基準値に照らして評価する」事にはメリットしかありません。注意事項としては、「他人をマイナス評価」した場合には決してそのことを口にしてはいけないということくらいでしょうか。その一方で、プラスの評価はどんどん言うべきです。発話していくことで、自分自身にもその言葉は跳ね返り、自分のグレードアップの役に立ちます。他人を褒めるという行為は、必ず自分に返ってきます。
そうして自分の「自己評価の基準値」を適度に調整したら、もう一度自分を省みましょう。上がるべき所は上がり、下がるべき所は下がるはずです。この「基準値」が明確に設定されていない限り、人は自分自身の評価にさえ疑心暗鬼になります。当然、他人から「承認」や「評価」を得たとしても、それを素直に受け止められません。適正な自己評価というのは、コミュニケーション能力にも関係するのです。
ふたつめ
二つ目は、「評価された自分の価値」を表出すること、です。
つまりアピール
表出、つまり表に出すということですが、「アピール」と言い換えても良いかもしれません。自分で自分を評価し、合格点を突破した → その事実を対外的に示すのです。何も怯むことはありません。自己評価の基準値を超えている訳ですよね? 誇りましょう。ただし、その時にも、「他人と比較」してはいけません。あくまで自分自身の基準値と比較するのです。他人を基準に自己評価の基準値を作るのは、高い目標値にしても低い目標値にしても、誰も幸せになりません。あくまで「自分の自分による自分のための評価基準」を使うのです。
アピールの訓練
訓練においては、たとえば「数で表すことのできる要素」なんかが良いでしょう。
- 1日1万文字書けた!
- プロットを三日で完成させた!
- 一ヶ月で10万文字作品を完成させられた!
……何でもいいです。まずは数で評価するのです。先にも述べた通り、「プラス(ポジティヴ)」な評価を適正に行うのには「訓練」が必要なのです。訓練が必要なのですから、まず最初は簡単な所から始めるわけですよ。となると「誰の目にも見えていて、そのために嘘をつくことのできないもの」で評価し始めるのが理にかなっている。そこで先の例の通り「スピード」「分量」そういったもので評価をしていくのが良いのです。
客観的な比較評価
「主観の入る評価基準」は難しいです。ですが「俺の作品は面白い!」と言えることはすごく重要です。が、「面白い」というのは比較級表現なんですね。だから何かを基準にしなければなりません。そこで他人の作品を踏み台にすると怒られますし、何の生産性も反省もありません。あくまで「『俺の以前の作品に比べて』面白い!」と言わなければならないわけです。となると必要なのは何かというと、「前の作品」に対する客観的な評価と、「今の作品」に対する客観的な比較評価です。
その時に必要なのは「何が」「どんなふうに」より面白いのかという二軸。ここがはっきりさせられていないと、比較も何もあったものではないのですね。ですから、比較するためにも、しっかりとこの二軸については「全ての自作品において」評価しておかなければならないというわけです。さもなくば「俺、成長してないんじゃ」「進歩できてない」という妄想のようなものがとりついてきて、振り払う事が出来なくなります。こういう幽霊のような物の囁きを弾き返すためには、より具体的な指標が必要なのです。
それが出来るようになると、常に自分の作品に自信を持つことができるようになります。「自信を持つ=誰にも負けない」ではないです。そもそも「自分の作品以外とは比較してない」のですから「誰にも負けない」なんて言えるはずがないからです。自分が常に成長していると実感することは、「右肩下がりの自己評価」に抵抗する最良手となります。
こうして自己肯定感は育つ
このプロセス(訓練)を繰り返すことで、適正な自己肯定感が育って行きます。自己肯定感の低い人に共通しているのは、「自己評価の基準軸」がないか、あまりにも分不相応であるということです。
自分と向き合うのは怖いかもしれません。自分の作品と客観的に向かい合うのはプレッシャーかもしれません。あるいは恥ずかしいと思うかもしれません。ですが、自己肯定感は育てるものです。育っていない人は、(少なくとも成人に於いては)自己責任であるとさえ言えます。育てる努力をしてきた人だけが、しっかりとした、地に足のついた自己肯定感を持てるのです。
このページに書かれていることをなんとなく理解したら、自分が過去に書いてきた作品を読み返してみてください。一批評家的な冷静冷酷な視線でもって。
※こちらの記事も参考にしてやってくださいね。
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