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その習慣は何のために続けているのか。

エッセイ

何かを達成するためには

毎日続けること

何か一つ、これと決めたら毎日続けること。これってすごく難しいように思えます。性格的な所もあるでしょうし。幸か不幸か、私は「こうと決めたらやらなきゃならない気がする」という強迫的なタイプでして、何かを毎日続けること自体は苦痛じゃないんです。

ただし、それに意味があれば。

意味のないことを続けられる人は(多分)いません。意味があるからこそ、多少気が乗らなくても続けられる。例えば私が毎日「カクヨム周り徒然」を更新しているのにも、そこには意味があるからです。ブログも積極的に更新しています。ほぼ毎日何か更新しています。これにも意味があるからです。意味がなかったらそもそも始めてませんし、意味があるから毎日続けているんです、多少ダルくってもね。

意味を見つけるためには……

「やっていることの意味がわからない」「なぜ続けてるのかわからなくなった」という状態になったなら、それはすっぱりやめた方が良いです。時間の無駄になります。一度やめて、冷静に考えて、そして続けるか否かを再ジャッジするべきです。漫然と続けるのが一番よくない、私はそう思います。「意味が分からない」と言っている時点で、そもそもスタートを切れてない可能性があります。あるいは、ゴールが動いてしまった可能性があります。

何を達成したいのかを明確にする

目的と手段を取り違えない

「続けること」が目的になっているとしたら、それは危険です。無駄な穴掘り→穴埋め→穴掘り→穴埋め……という、ある種拷問を自分に課しているようなものです。無駄です。あくまで「〇〇を達成するために××を毎日続ける」のであって「××を毎日続けることが何より大事」と思考停止してしまっては、何の意味もない時間と労力をささげているという事になってしまいます。あくまで「〇〇のために××を続ける」のであって、それは別に毎日でも週一回でも月一回でも構わないわけです。

じゃぁ、目的は何か。

私の場合は無茶苦茶簡単です。書籍化からの映画化(アニメ化)からの海外で評価されて海外で映画化。これを達成するために毎日無茶しています。気宇壮大というか誇大妄想と言われてもむべなるかな。しかし、これが目的である以上、毎日アウトプットを続けられる気力と体力を維持していかなければなりません。スポーツでいう所の基礎トレーニングやストレッチのようなものです。いきなり42.195kmを走り切れる人間はいません。毎日地道な訓練を続けて、時々無茶して負荷かけて、自己管理を徹底して、それでようやく何とか走り切れるのが42.195kmという距離です。私の夢は100kmマラソンよりきついと思います。現に30年走ってこれですからね。

ゴールを動かすことも考える

それでも迷うことはあるかもしれません。やっぱり無茶だった、目標を変えよう……それも立派な決断、判断だと思います。私も上記のように海外での映画化がさしあたりのゴールですが、そのためにはまずは公的に認められるところが必要かなと思っています。つまり、書籍化からの、増刷からの、世間への浸透、ですね。それがニッチなものであったとしても、需要が確実にある作家になる……これが必要です。まずは書籍化だけを考える、という判断も悪くはないと私は思います。ただ、私の場合はそこで終わりたくないという強いバイアスがあるので、その先の先の先くらいまでを目標に据えている、というだけです。スタンスの違いもありえます。真似する必要はありません。

そもそも何をしたいのか

WEB小説家というのは

小説を書いてかつ「小説家になろう」「カクヨム」「アルファポリス」「エブリスタ」……どれでもいいですが、とにかくWEBという誰でも読める場に発表している人は、ほとんど例外なく「読んでもらいたい」と思っている人でしょう。自分以外の人に、自分の物語を読んでもらいたい。できれば共感して欲しい、良い評価をして欲しい……。そう考えているはずです、大なり小なり。

しかし、目的地は違う

ただ読まれるだけが目的なのか、それとも、私のようにプロとなる道に進みたいのか。それはそれぞれ違っていると思います。どちらも悪いことじゃない。趣味の領域にとどめるのか、それでお金をもらう立場になるのか。それだけの違いであって、活動そのものには違いはありません。「うまくなりたい」という願望も、人間ですから当然あるでしょう。それはつまり「きちんと評価されたい」という思いの表れです。きちんと、というのがミソで、その「きちんと」には発話者の主観や希望が大いに含まれます。

つまり、評価されたい

批判や批評じゃなくて、ここでは「カクヨム的」評価を指します。素人が素人を批判してる場合じゃないですからね。書いた努力、費やした時間に対して報いて欲しい。そういう願望があるはずです。そのために欠かせないのが「自助努力」というやつじゃないかと、私は思うのです。その人に相応しい努力の方向性や強度がある。スポーツの基礎トレーニングと一緒でね。何をしたいか、どんな競技に出たいのかで、トレーニングの種類も時間も違うはずです。単距離ランナーと砲丸投げの選手が同じ基礎トレーニングをしてるとは思えません。

小説はアウトプットである。

……と、書くといろいろご批判を食らいそうですが、小説というのはアウトプットなんです、間違いなく。であるならば、先ずはインプットしなければならない。息は吸わなきゃ吐けないわけです。だから、必死でインプットする必要が先ずはあると考えます。ただし、「どうやって吐くかを考えながら」。自分だったらどう表現するか。この文はなぜ読み易い(あるいは読み難い)のか。この場で最も効果的な形容詞はなにか。などなど。私はそれを「映画」でやりました。本も数千冊は読みましたが、映画も多い。そして映画を「インプット」するときはほとんど癖になってますが、「このシーンを書くならどう文章にするか」というのを考えます。だから、私が小説を書く時は、まずは頭の中に長編映画が一本できるんです。で、それを淡々と文字におとしていく。そうやって作っています。

そうなるためにも毎日IN/OUTを繰り返す

というわけだから、私は毎日INPUTかOUTPUTをするのが良いと思います。ただし、目的を定めて。思うだけじゃなくて、言語化して。視覚化して。ここがミソね。私のように臆面もなく目標・目的を口にする。これがすごく大事なんじゃないかなって思う次第です。だから私は毎日何かを読むし、何かを勉強するし、何かを書くわけですね。

あくまで私の主観でしかないのですが。

地道にコツコツ。でも、大胆に。

私の目標は、なんせユーラシア大陸を走って横断するくらいの大目標です。地道に積み重ね、時に大胆に動かなければ、到底なし得ない目的・目標がある。だからドメインも取ればサイトも作るし、作品専用のサイト立ち上げたりもする。すべてを投入して動いている。使えるものは何でも使う。でも、その前に、自分の力でできることは何でもやる。そういう風にして毎日動いています。そんな私の姿を見て、がむしゃらになってくれる人が増えたら嬉しいなと。それを活気っていうんじゃないかなって思う次第です。盛り上がってない界隈で生まれたものが、その界隈の外で盛り上がるのは難しい。だからこそ、小説書き界隈はもっともっと頑張って活気をもってにぎわっている必要があると思うのです。地道にコツコツ、でも、大胆に。楽しくやりましょう。

行動は切磋琢磨の材料になる

最後に。自分が何かをアウトプットするということは、それが誰かのインプットになるという事です。それは巡り巡って自分のインプットにもつながってきます。切磋琢磨というのは、自らの行動によってしか起こらないのです。受け身でいて何か事を成し得るか。否。何かしたい、何かになりたいのなら、まずは自らを動かすのです。天は自ら助くる者を助く。よく言ったものですね。

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