楽しいことは楽しいと言おう。

エッセイ

人間ていうのはですね、本質はネガティヴなんだと思っています。なぜなら、病気になるとネガティヴになるから。これは自分をカバーするものがなくなる、対外的なものにリソースを割けなくなる状態ではネガティヴになるということ。鬱なんてまさにそれでしょう。私も鬱で通院中だからね、言っとくけど。誰も信じてくれないけど(笑) もはや鉄板ネタなんですよ「私、鬱だからね!」は。よくここまで回復したなぁ、私。

あ、自分語りはどうでも良いとして、とにかく人は基本路線がネガティヴ。つまり、ぼんやりしてると負の方向へと向かうように出来ているんです。だから心に余裕がない状態だと、悪いことに目が行くし、言われた言葉、向けられた視線、そういったものにもつらさを覚えるようになるわけです。

だから、「楽しい!」とか「嬉しい!」とか「面白い!」とか感じることはすごいことなんですよ。ちょっとでもプラス方向に心が動くというのは、常にマイナス方向に感情を引っ張られる性質を持つ(多くの)人間にとってはすごいことで。それはつまり、その時、そのものにそれだけの価値があるというわけで。

価値は不変ではないので、何でもないときに見ても何も心が動かされないかもしれないけども、何かの拍子に見た時に「なにこれすごいんだけど……」となることもある。それはそのものが持っていた価値が理解できた、あるいは表出してきたのを感じ取ったというわけで。

そこにある思考、感情といったものはすごいエネルギーを持っているんだと思います。楽しいと感じられる心の余地、余裕。そういったものがちゃんとあるんだという証拠でもある。でもね、鬱の時って、ないんですよ、そういう余裕。焦りとか嘆きとか苦しいとか何とかしなきゃとか、そういう気持ちでいっぱいで、「楽しい!」とか思うことにすら罪悪感が湧いてしまうから、仮に一瞬でも「楽しい!」と感じたとしてもそれを抑圧してしまう。本来やっちゃいけないことなんですよ、これ。でも私もそうでした。だって、鬱ってのは迷惑かけますから。特に家族に。私なんて結婚生活の(今のところまでの)半分が鬱でしたからね。結婚生活の三分の一の期間が酷い状態で、ほんとうに迷惑かけたなと今でも思う。だからこその罪悪感なんですよね。プラスの感情とか表情とか見せるのが申し訳ないとかそういう気持ちになってしまう。

だけども、本来、鬱の人を助けなきゃと思ってる人にとっての救いって何かって考えると、その人が「楽しい」とか「嬉しい」とかを外に表してくれることなんですよね。本来、当人が罪悪感なんて感じる必要はないのに、なぜか感じちゃう。日々自己嫌悪のスパイラルですよ。私も結婚して子どもがいて……だったのでなんとか立ち直りましたが、独身だったら終わってたかもしれない。今でも真剣にそう思います。

とにかくね、誰かが「楽しい」とか「嬉しい」とか感じてるという事実は、他人を幸せにすることこそあれ、逆はない。それを見て恨み辛み妬み嫉み、その他の負の感情を感じる人はまた、余裕のない人であって。だからそういう人を気にする必要もまた無いんです。(言ってしまえば)なぜなら「楽しい」は「あなたのもの」だからです。「誰かのための楽しい」じゃないですよね、そのプラスの感情。「あなたが楽しい」のなら、その「楽しさ」をちゃんと表明するべきだと私は思うわけです。

さて、私は小説書いたりする人なので、そっちの方に持っていきますよ。

「楽しい」と感じたもの、「面白い」と思ったもの。そういったものに対して、そのプラスの想いを表明するのは、誰をも幸せにします。どんな形でもいい。カクヨムであるなら★でも♡でもTwitter拡散でもなんでもいい。とにかくそのプラスの想いを行動に結びつける。「楽しかった!」「面白かった!」小学生の作文みたいな感想でもリアクションでもいいんです。

で。

それを表明すると何が起きるか。

自分が幸せになります。

国民性なのかどうなのかわからないのですが、「楽しい」「よかった」「SUGEEEE!!!」といった「自分の感情」を表明するのが下手な人、あるいはそこに躊躇いを覚えてしまう人が多い気がします、日本人。アメリカ人なんてとりあえず「Amazing!」言っておけって感じですが、「Amazing!」はそれでも(一応)褒め言葉ですからね。日本人は「ああ、うん」「まぁまぁ」「(ノーコメント)」のどれかが多いんじゃないですか。プラスでもマイナスでもない表現。

感情の表明、こと、プラスの感情の表明は周囲に良い影響を及ぼします。クリエイターはやる気や元気をもらえるし、そうじゃない人にしても共感があったりするでしょう。同じネタで話題が広がるなんてのがそれです。それによって作家(小説に限らず)たちはますますエネルギーを得るわけで、そうなれば必然「楽しい」ものが増えます。良いスパイラルができますよね。自分がより楽しくなるために、今そこにある楽しいものを楽しいと言う。ただそれだけなんですね。

ここでタイトルに戻りますが、で、あるからこそ「楽しいものは楽しいと言う」のが大切なのです。

鬱な人・つらい人ほど、本当は「楽しい」「嬉しい」と言った方が健全なんです。逆にね、鬱な人が楽しんでいたりするのを見てなんだかんだと抜かすような奴とは付き合わなくて良いですよ。その後の人生に於いて、まったく何の役にも立たない人なので。毒にはなるけど、薬にはならないのです。

いいですか、あなたが「楽しい」といえば、それを聞いた人のうちの何人かは幾らかは楽しくなるんです。おすそ分けですね。そして誰かの「楽しい」を受け取れば、自分も楽しくなるんです。他人からの「楽しい」を感じるためには、自分の感性を磨かなきゃならない。「楽しいセンサー」みたいなものですね。それをしっかりレベルアップさせて、かつ「楽しい」を表明する癖をつけていくことで、自分の中でも良い変化が起きます。今余裕のある人はぜひ「楽しい」を連発しましょう。余裕がない人は「楽しい」と言ってみる努力をしてみましょう(罪悪感なんて要りません)!

そんなことをぜひ意識してやってみてください。

私はおかげさまで何でも楽しいです。

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