老害化したくないなら自分を疑え

エッセイ

こちらの記事でも書きましたが、「常識」とかそういったものはあっというまに変わります。

本日の「カクヨム周り徒然」847.でも書いたように、「当たり前」と思い始めた瞬間から「老害化」します。トシヨリだから老害ってわけじゃないんです。トシヨリ=老害と思ってる人がいるとすれば、その人が「老害」です。何歳であろうとも。15歳でも老害です。

全ての物事は前に進みます。後ろに戻ることはないんです。世界が核の炎に包まれたりしない内は、決して戻らないのです。そして「自分」は「自分で進み続けない限り止まる」んですね。その点を忘れていると、いつの間にか世界に置いていかれてしまうってことになります。

置いていかれて慌ててついていこうとする人はまだ良い。ちょっと遅きに失してはいても、まだ良い。追いつけます。ですが、「わからん」とか「常識的じゃない」とか「(今までは)当然だった」とか言ってしまったら、その時点で「老害」なんです。「普通」「常識」は「不変」なものだ……とか無意識に思ったりしていませんか。

違うんです。

「常識」という言葉には常に「今の」という修飾語がついてもいいくらいのものなのです。「今の常識」は、次の瞬間にも「常識」であり続ける保証はない。過去のものだからです。そして、過去は絶対に今とは違う。

だから「(自分の中の価値観=)常識は正しい」と信じているのだとすれば、それは「自分が楽」だからです。「自分の常識は絶対変わらない」と思ってる人は、時間に合わせて歩かなくていいわけですから。楽なんです。アップデートというのは意識的にしない限りされませんし、アップデートするのは決して楽なことじゃないんです。アップデート、つまり「成長」です。人間は植物とは違いますから、ボケっと日向ぼっこをしていても成長はしません。知性の部分は「本人がやる気にならなければ」育たないのです。

「常識」を大事にしている人は楽な生き方をしているのです。そしてその上に、他の人々はみんな自分の横をすり抜けて前に前に進んでいく。だから後ろから殴り放題なわけです。石を投げたって、みんな前に行くのに一生懸命なので犯人を探したりしません。なので「アイツラは非常識だ」とか「昔はこうだった」とか「俺はこんなに苦労した」とかいうどうでもいいことを声高に主張するようになるわけですね。殴り返してこない相手ですから。殴り返してこない=自分の方が強い、と思っている人というのは「常識」を後生大事に抱えている人ということなのです。あるいは、殴り返してこない=自分のほうが正しいからだ、と言っちゃえる人

後から後から人はやってくる。だから自分の周りには常に「殴っても殴り返してこない人」が大勢いる。その顔ぶれがどんどん変わっていき、自分が殴った相手が成長していっている……そんなことにも気付けないで、(今の若者は、とか、◎◎してるやつは、とか)大雑把で非論理的なカテゴライズをして、ドヤ顔で「正論」をぶつける老害ですよね。文字通り、社会の害悪、社会の癌なのです。あなたの周りにもいると思います。そういう人とは距離をとる。良いことなんて一つもありません。いや、反面教師としては有効か。

そうならないためにも、「常識」は常に疑ってかかりたい。他人との共通認識を持つのは大切ですが、それが「不変」であるとは思わないこと。この世の中に不変なものなんてありません。宇宙のスケールすら変わっているし、世の中の天才たちが苦労の末に辿り着いた数式や法則すら時々刻々と書き換えられているというのに、変わらないものがあるなんて考えられますか?

このブログ、一応創作界隈におりますので、読む方も創作に関係する方が多いと思います。小説や漫画、映像、音楽などなど、とにかく全ては変わっている。「自分をして古典」とかいう考え方をするならともかく、「自分が普通」「自分は標準」とか思い始めてしまっているとしたら黄色信号です。常に変わります。何もかもが変わっていきます。昨日の価値観が今日変わっているかもしれません。というより、そんなことは普通にあります。

それについていけなくなったら、ではなく、価値観や常識の変化についていこうとしなくなったら「老害」です。ついていけなくなったと感じたらそれは「老い」です。静かに老いるならともかく、前に進む人の足を引っ張ったり石を投げたりする「老害」にはならないように、普段から気をつけたいものです。

創作界隈、後ろから殴りかかってくる人が少なくないなぁと常日頃から思っているので、今回はこういうテーマで書いたのでした。私も気をつけなくちゃ。

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