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「いにしえのほーむぺーじ」の話

唐突ですが、昔語りします。

私、1996年にWindows95のPC(NECのPC-9821のやつ)を購入し、97年にはWebサイトを作り始めました。大学二年の頃ですね。最初はとあるミュージシャンのファンサイトに居座っていたりしたんですけど、そのうち自分で作ってみたくなってという流れですね。

もちろん知識なんて一つもない状態から「とほほのWWW入門」というサイトなどを見ながら作った時代です。えーと、回線の主流はISDN。ISDNは1988年からサービス開始されたもので、電話回線使うやつですね。回線速度はなんと、64+64=128。128Kbps。いいですか、k(キロ)、です。ここのサイトを使いまして、わたしの環境で計測してみたら124.16Mbps。ざっくりいって1000倍ですね。はい、この差。当時は動画はおろか、画像表示にさえ気を使ったものです。バナーサイズは200*40で、重さはせいぜい20kbくらい(だったかな) あまり重い写真を載せると顰蹙を買うわけです。いつまでも表示できないとか。

https://speedtest.gate02.ne.jp/

いつまでも表示できないことになぜイラつくのかって言うとですね、「表示が遅い」ということは即ち「カネがかかる」ということだったからです。今でも遅かったらイラつきますけど、当時はWebサイトは今みたいな「定額制常時接続」みたいな環境じゃなかったんですね。簡単に言うと、ISP(プロバイダ)に「電話をかけ」、「接続してもらって」、「Webサイトを見る」わけです。そして今みたいなタブブラウザなんてありませんし、IE(当時の主流はインターネットエクスプローラー)を何枚も開いてしまうとPCがすぐ限界を迎えます(だってほら、RAM16~32MBとかの時代ですし) それに画像とか開くのに時間がかかっている状態なので、複数のIEを開いたところで悪化するだけなんですね、状況が。

そこにきてBGMでMIDIを流すサイトの多いこと! 「オイィ、止めるボタンがないんだが?」

そしてうっかり複数枚のブラウザを(がんばって)開いた時に複数サイトでMIDIが鳴ったりする。地獄。ザーザードザーザードスクローノ……って詠唱したくなるくらいに地獄。当時ね、なんせ黎明期なものだから、WEBサイト(当時は「ホームページ」というのが普通だったが、ホームページとはなんぞや論争も良く起きていた)にはいろんなものが過積載されていたのです。

話は逸れましたが、そういうわけで「WEBサイトは簡潔かつ軽くあるべし」というのが鉄の掟。画像表示は解像度落とすなり何なりしろ、MIDIはやめとけ、というのがある種不文律。

そして忘れちゃいけないのが、こういう状況への救世主、「テレホマン」! 「テレホーダイ」というサービス!

WEBにアクセスするときには前述の通り「プロバイダに電話をかける=電話代が普通にかかる」わけですが、この「テレホーダイ」というのに加入しておくと、月額数千円で「23時~8時」の間の(指定した通話先の)電話料金を「定額」にできる! という。これは凄まじいお話でありまして、WEBを恒常的に使っていたい人にとっては救世主。というか、当時からいる古のインターネッターでテレホマンのお世話にならなかった人はいないのではないかというくらいのサービス。

ただしこのテレホマン。罠がいくつかありまして。というのは「23時になるや否やインターネットジャンキーたちは接続を試みる」のです。一箇所に何百何千という人が電話をかけるのと同じです。つまり、何度もリダイヤルするわけです。繋がるまで必死に。ぴーがらがらがらーぴーぴーぴー……。繋がったら今度は回線落ちしないことを祈りながらネットです。一度落ちるとまたピーガラガラーのやり直しですからね。23時からが俺たちの時間だ! となるわけですから、みんな寝不足ですよね。3時位まで普通につなげてましたよ、私。

そして罠その2。寝落ち。これがやばい。前述の通り3時とかまでやるわけですから眠たいんですよ。でもチャットで盛り上がってうっかり離脱できないとか、BBSでレスバを繰り広げて終われないとか、色んな事情で落ちれなくて寝落ち。回線繋いだまま気づいたら午前11時。わかりますか? テレホマンが助けてくれるのは午前8時までです。つまり、3時間「電話をかけっぱなし」状態なわけです。通話料で死ぬ。こんなの数回やっただけで電話料金の請求は5桁ですよ、5桁。死ぬ。私も3万円くらい来たことがありますorz テレホマンのお陰ですっかり夜型生活に慣れてしまったんだけど、これは日本国民の健康を相当に害したと思う。

さて、当時の思い出を語るインターネット老人会で必ず出てくるのが「アクセスカウンター」の話題。もっと言えば「」の話題ですね。当時のWEBサイトはほとんど必ずと言っていいほど「アクセスカウンター」が設置されていて、でかでかと「あなたは○○人目の訪問者です!」って書かれていたんです。今はほとんど見ませんね。でね、キリ番っていうのは「キリの良い数値」を示していて、たとえば「100」とか「1000」、他にも「555」とか「7777」とかがキリ番なんですね。

で、この「キリ番」。「報告しなければならない」んです。MUSTですよ。MUST。さもなくば「踏み逃げ」と言われます。大変だ。踏み逃げ犯だ! ってなって、トップページや日記やらで主がぶちぶちいじけるんですよ。ちなみにこの「キリ番申告」って、完全自己申告。今みたいに気軽にスクショとって貼り付けられるような掲示板なんてなくてですね。なので「777踏みました~」「報告ありがと~」みたいなゆる~い感じのアレ。ちなみにこの「アクセスカウンター」ってのがまぁ、面白いやつでして。今だと「F5(リロード)」してもカウンターとかのたぐいは基本的に増えません。が、当時のフリーで提供されているようなアクセスカウンターの多くは「同一IPは重複カウントしない」っていう機能がなかったんですね。つまり、「499」を踏んだ人は「F5」を押して再読み込みするだけで「500」のキリ番が踏めちゃう! 簡単! 手軽! なのでめんどくさい人にはF5連打して自分で踏んだことにしてた(懺悔)

キリ番踏むと何が起きるのか! とお思いでしょう。起きるのです、何かが。たとえば「キリ番記念絵プレゼント」とか「あなたのサイトを掲示板で紹介します」とか。思えば絵とか相当気軽にプレゼントしてた気がする(私はしなかったけど) まぁ、一種のコミュニケーションツールみたいなもん、と言えたのかも。

あ、そうそう、「掲示板」。BBSです、BBS。tcup使ってた人めっちゃ多いと思うんですが、他にも無数の掲示板サービスが群雄割拠していましたね。あ、私は自作してました。perl使って。perlの使い方も「とほほ」さんで覚えました。とほほさんは神です、今でも。

思えばこれが、プログラマ人生の始まりです。周囲にはいろんな掲示板がありましたね。シンプルなのからレス付けられる(当時は「リプ」ではなく「レス」と言っていた)タイプ、にちゃんねるっぽいのから、アイコンつけられるのまで。掲示板提供サービスなんてのも普通にあったんですけど、あの広告バナーが嫌で、自作したっていう経緯。自作するにしてもプロバイダがCGI許可してないとできないとか、色々あってねぇ(懐古)

そして登場する「お絵描きBBS」、通称「おえび」。今でこそ当たり前に存在する「お絵描きBBS」ですが、これ、作るのがマジで大変で。もうすっかり忘れちゃいましたけど、作ったことあります。どうやって作ったんだっけ……。で、私のおえび関係の記憶で割と鮮明なのが「ようかんマン」。「バーチャルネットアイドルちゆ12歳」ってサイトがあって、そこにおえびがあったんですね。ある時不調になったか何かで絵が消えるとかなんとか。そこでさっそうと現れたのが「ようかんマン」。あそこが初出なのかは知らないですが、とにかく連日ようかんマンが登場しては荒れる住人をなだめていましたね。懐かしい。

そして「チャットルーム」。これを作れるのは選ばれしperl使いだけでした(作りました)。チャットはですね、「今の参加者○○、☓☓、△△」と表示されるのが普通。で、これに加えて「今○人が閲覧中です」って出てくるのですね、何故か。すると中の人が「かもーん」とか呼びかける。これが「うざい」とかいうので管理人に苦情が行くという(笑) いつの世も管理人は大変です。チャットルームはログがある程度で消えるのが普通でした。というのもプロバイダの提供容量が5MB、10MB(メガですよ。後に50MBとかに拡張されていくのですが、それでも大した量ではない)とかの時代。テキストで作られるログとはいえ、チャットの数カ月分とか保存出来ません。なので言った言わない問題とかも割と起こるので、管理人はほとんど毎夜チャットにINしてダラダラ喋りながらサイト作りをしていたのです(という経験談)

あとはアレですね「リンク集」。当時、WEBの枝葉を広げようと思ったらそれぞれのサイトの「リンク集ページ」に掲載してもらうか、「リンク集サイト(WEB RINGとかいうやつ)」に登録する感じでしたね。小説なら小説のWEB RINGがあるのでそこに載せると、そのサイト内の検索にひっかかるようなひっかからないような、みたいな。このWEB RING、なかなかアレで「ランダムに登録サイトに飛ぶ」とか「次へ」とか「前へ」で登録順にジャンプするとかあって。それで見知らぬサイトに言ったりしていたものです。

リンク集といえば「バナー」がセットになるんですが、この使い方で争いも起きました。「バナーは必ずコピーして持っていってください」というサイトと「バナーはこのURLで貼り付けてください」というサイトが混在していたというのが原因ですね。なので、前者のサイトのバナーをURLで貼り付けるとめっちゃ怒られました。フォロー・フォロワーの概念がない時代なので、ある意味で「縁が簡単には切れない」。切れる時は喧嘩した時。「お前のページ、俺のリンク集から削除したからな!」みたいな、田舎の不良のような啖呵を切ったり切られたりしたものです。ある意味これが絶縁状。

あとはそうだなぁ、「隠しページ」なんてのもよく作ってました。「Tab」キーを連打するとすぐ見つかっちゃう隠しリンクとか。ソースの中にコメントで隠しページのURLやらパスワードのヒントを載せておいたりとか。これも「見つけてもBBSとかに書かないでね」って言っておくと大抵誰も言いませんでした。

忘れちゃいけないブラウザの話。当時(1990年代後半)は「Internet Explorer」と「Netscape Navigator(通称ネスケ)」が覇権を巡って争っていました(FireFoxとかOperaもいるにはいたような……?)。で、コイツラが実に困った奴らで、WEBサイトの見た目を整えるための「CSS(ちなみに今のCSSよりずっとしょっぼいやつ)」の互換性がなかったんです、ほとんど。だから「IEで作るとネスケで崩れ、ネスケで作るとIEで崩れる」と。なので当時のホームページのトップには「このサイトはInternet Explorer x.x以上で閲覧できます」みたいな注意書きがありました。だんだんネスケお断りになっていったんじゃなかったかな。ネスケ好きだったんだけど、そういう事情でIE派になりました、私も。今となっては信じられませんけどね。でも当時はIE or NNで、それ以外の選択肢は事実上なかったので、仕方ないのです。

Flashを使ったサイトがお洒落だったけどクッソ重たかった話とか、「侍魂」がすごかったとか、なんか気づいたら「ラグナロクオンライン」のβテストが始まっていたとか当時の話題には事欠かないんですが、あの頃は不便だったなあ。今にして思えば。でも黎明期なりに楽しくもあった。やることなすこと尽く先駆け、みたいなところありましたしね。私ADSLが普及する前にeラーニングサイト作ったりしましたよ(笑) ISDNの回線速度で動画を表示するっていうね。懐かしい。

なんとなく思い出したので書いてみました。インターネット老人会の皆々様も色々思い出があると思いますw ぜひ懐古に浸ってもらえれば。

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