異世界ファンタジーは今も昔もとことん強い
「異世界ファンタジー」は本気で強いです。「カクヨム」限定の分析になりますが、まずは下記記事にておさらいです。
5/21時点で全体の18%強ということで、ダントツで一番多かったジャンルが「異世界ファンタジー」。多分この構図は今でも変わっていないでしょう。どの文字数帯でもほぼ一番多い。あらゆるところに顔を出し、あらゆるところで猛威を振るう、それが「異世界ファンタジー」というジャンルなんですね。でも、「異世界ファンタジー」だから評価されるのかというと、それは違います。「異世界ファンタジー」は読まれやすい(読まれる確率が他に比べると高い)というだけです。長編作品の1/3を占めているというのも特徴的です。
異世界ファンタジーの特徴
量産性の高さが引き立つ
没入感を誘えるような世界を作れれば、あとはプロモーション次第で行けるということになるでしょう。「異世界ファンタジー」ってワードは、それだけで一種外部クラスの参照をしているようなものなので、ものすごく簡単にテンプレを使えるんですよね。例えば「エルフ」といえば誰もがほぼ同じようなイメージを思い浮かべるでしょうし、「ゴブリン」といえばやっぱりなんとなくヒューマノイドで頭の悪そうなやつを思い浮かべるはずです。「城」といえば「城」ですし「城壁」といえば「城壁」。「鎧」といえば「(それぞれイメージは違っても)鎧」ですし、「剣」や「槍」なんてのはもはや記号です。「魔法」についても、原理的なところはオーバーライドするにしても、しなくたって使えます。一言で言えば「量産しようと思えばいくらでもできる」というのが「異世界ファンタジー」の良いところです。
テンプレートの意義を考える
「テンプレ」という言葉にアレルギー反応を起こす人も多いかもしれませんが、「テンプレ」がどうして「テンプレ」になったのか、よくよく考察すればその有効性がわかります。有効だからこそテンプレ化したんです。生産性を上げるための道具がテンプレートなわけですから、非常に合理的です。テンプレを破りたいなら、テンプレを研究して、「新しいテンプレ(ムーヴメント)」を創るくらいの勢いで、本気で取り組まなければならないでしょう。テンプレの上っ面をなめてテンプレ否定をしたところで、発明できるのは「四角い車輪」です。
私はテンプレを敢えては意識していませんが、それでも「ここはくどくど書くところじゃないな」と思ったらテンプレを活用しますし、人間関係も(コア以外は)テンプレ的に書いたりします。読者の脳内感覚に甘える手段が、テンプレ利用なんだと思っています。「甘える」というとちょっと負荷かかりますが、逆です。「読者の持つ常識的認識を活用する」ので、読者の負荷は減ります。上書きしなくて良いので。なので、「読みやすい」ものが出来上がる。読者(の大半)が読みたいと思っているのは「読みやすい」「読んだ気になる」ものであって、小難しい文学書でも哲学書でもありません。読者の持つ「読書に割くリソース」はとても少なく、ただでさえ少ないリソースを自分の作品に何割も突っ込んでもらえるとは考えないことです。
読者にとって「いかに読みやすいか」を第一義として考えなければ、少なくともWeb小説では売れません(読まれません) その際に猛威を振るうのがテンプレの有効活用です。
書きやすいと考える人が多いが……
「異世界ファンタジー」はいわば作者の脳内で完成する物語ですから、書きやすいと思う人が多いのも事実です。それは「異世界ファンタジー」作品の投稿数でもわかります。読者が「読みやすそうだから読む」のと同様に、作者は「書きやすそうだから書く」わけです。しかし、「書きやすい」と言っても、それが「読みやすい」にはならないことが多いのですね。それは単純に作家の能力不足、経験不足だったりするわけですが、「一般化された感覚・認識(=テンプレ)と乖離した世界観や概念をもたせて独自性を出そう」とするなどしている作品は、速攻で敬遠されます。ただし、筆力が異常値な人はそれがウリになりますが、それはほんのごく一部なので。
「異世界ファンタジー」は書きやすいわけじゃありません。設定を練り込まなければ「うそっぽい」世界になってしまったり、「はりぼて」になったり「二次元的」になったりしてしまいます。それは読者には一瞬で見抜かれます。その瞬間シラケますよね。没入できないから。そこでブラバ確定です。ご都合主義に陥った瞬間終わるのですが、この「ご都合主義」がテンプレに合致していた場合は話は別かもしれません。テンプレはそれほど強い。
実際問題、「異世界ファンタジー」は文字を書き始めるまでが戦いかなと思います。あ、一応私も、異世界ファンタジー出身なのでアレですよ。カクヨムにもいくつかあるので見てみてね。
文字を書き始めるまでのところで、作品は8割以上決まる。「異世界ファンタジー」は特にその傾向が強いと思います。人物やセリフは都度対応でどうにかなるかもしれませんが、「世界そのもの」を創る「異世界ファンタジー」は、「世界の部分で破綻できない」という強烈な制約があります。「現代ドラマ」「現代ファンタジー」ではそのへんは「現代社会というテンプレ」を元にして創るため、わりかしごまかし?のようなものが利くのですが。ともかく「異世界ファンタジー」はちょっと間違うとハリボテになってしまうので、そのへんをどう創るかが一番難しいのです。
延々と続かせられる要素を持つ
「異世界ファンタジー」に終わりはありません。もちろん、キャラクターを主眼におけば、ストーリーはどこかで終わるのですが、 (基本的には) 「世界」が消えてなくなるわけではありませんので、いくらでも続けられるわけです。「ロードス島戦記」関連なんかはいい例ですね。ロードスは私のバイブルです。本気でがっつり読んだ(今で言う「異世界ファンタジー)小説はロードス島戦記が最初。あれは小学6年~中学の頃か? その後、「卵王子カイルロッドの苦難」に始まる冴木忍中毒になり、竹川聖「風の大陸」にはまり、やがて田中芳樹に行ってSFに走るわけですが、ともかく「異世界ファンタジー」は「ゲド戦記」などを含めて私の起源、オリジンなわけです。
ちょっと横道に逸れましたが、しっかり作り込まれた世界というのは、いつでも再利用できるという利点があります。もちろん、時間軸を無視して主人公に永遠に旅させても良いわけです。そのあたりもしっかりとした作品コンセプトがあれば十分可能です。私の作品では、毎回10万文字ごとに主人公が変わったりしますが、そういう世界の再利用性の高さというのも一つのウリですが、実際のところ再利用できるのは「読まれてる人」だけかな。
異世界ファンタジーは作り出すまでの労力と、読まれるか否かの分水嶺のバランスが取れていないと感じるので、「参入は容易いが、持続が難しい」ジャンルだと思います。ただ、一度ハマれば、それだけで一生続けられるような継続性や汎用性を持っているというのも確かです。
異世界ファンタジーは当たれば本当に強い
「異世界ファンタジー」というジャンルは恐ろしく強い。
なぜか。
それは「書く人が多いから」です。作品が多くなれば読者は作品を選びます・選べます。収穫逓増の法則が作用します。「異世界ファンタジー」を読む人が数少ない選ばれた作品を支持します。なんとなくジャンルの間口が広がります。するとそこにまた人が入ってきます。収穫逓増の法則が働きます……。
要は「関与人口が多くなれば、必然市場は盛り上がる」「盛り上がれば売れている作品の質が上がる」というわけです。ただし、ここには落とし穴があって、「売れてない作品」も他ジャンルに比べれば圧倒的に多いということです。ジャンルを盛り上げるためには、出版社はより多くの作品を市場に送り出す必要がある。言い方は悪いですが、「当て馬」的作品もあるに違いないのです。そこには様々な政治的要因もあるでしょうが、これがないと考えるのはちょっとお花畑過ぎます。実際、売れない本がほとんどでしょうしね。じゃなきゃ「出版不況」なんて言葉は出ません。
数多くの屍の上に、ほんの一握りの「売れてる作品」が立っているわけです。彼らの立つ標高を上げるためにも、「異世界ファンタジー作品」は数多く必要になるわけです。需要と供給がマッチしているという皮肉な話ではあります。
ですが、「ハマれば一発当てられる(しかも継続的に)」という可能性を秘めているのもこの「異世界ファンタジー」。公募なりオンラインコンテストなりに挑戦する価値はあると思います。でも、準備8割ですよ! 面白い作品は「世界そのもの」が興味深いですからね。目指すのは60年代の時代劇ではなく2010年代のハリウッド。そこまで要求レベルは高くなっているというのも事実です。
さて、つれづれ書いてみましたが、お役に立ちましたでしょうか。
それでは良き執筆ライフを!
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