ホスピタル=病院、ホスピタリティ=おもてなし。簡単に言うとこういうことですが、語源はラテン語で、hospes(もてなす人)らしいです。同じ語源ですね。というより、hospes→hospitality(形容詞)→hospital、とのこと(→参考サイト)
さっき、こっちのサイトの「一式なう」にも書いたんですけど、今日娘氏連れて行った病院に滅茶滅茶不満がありまして。いかりのままに「なう」しちゃいました。原文は(消えてなければ)こちらのどこかにあります。
医療機関が頑張ってます、というのは一般人なりに理解しています。怠けてるとかやることやってないとかは思ってません。「医療機関総体として」は。が、各個の医療機関はそうじゃない。もちろん、もんのすごくやってくれてるところもあります。私が家族それぞれで世話になっている病院も大半が「すごくよくやってくれる」有り難いところです。が、たまにいる。たまにいるんです。「お前、その根性おかしいで」「考え方間違っとるで」みたいなところが。
例えば今日の私がなぜこんなに不満たらたらなのかを、少し冷静になった頭でまとめてみます。
子ども(1歳になったばかり)が40度の熱を出した。一晩経っても下がらない。どころか、座薬がまったく効果を上げない。ミルクもほとんど飲まない。救急車を呼ぶべきか悩んだが、長男・次男の経験から、朝まで待って、当番医(休日だから)に連絡しようということになった。まぁ、その判断は間違えてないと思うんですが、この間、我々両親はほとんど寝てないんですよ。うなされてる娘を放置して寝られるほど鬼じゃないです。3人目とはいえ、40度超える発熱です。不安はたくさんあります。このまま上がり続けたら死ぬかも知れない。後遺症は大丈夫か。ていうか新型コロナじゃないよな。インフルエンザか? 家族の感染は? どうなる? そういう不安です。自分についてのじゃなくて、ほとんどが子ども本人あるいは、うちの他の子どもたちのリスクについてです。
そんなほとんど寝てない状況で朝になり7119にはもちろん連絡し、医療機関も前夜チェックしておいたところにはオープン前からTEL入れてたり。で、ぐったりする子どもを連れて、クッソみたいに凍った道を運転してその病院に行ったわけです。
そしたら、医師はろくに話も聞かず、なんかいいたいことだけボソボソ言って、検査する・しないも特に根拠も示さず、40度以上実際に出ている子を前に改めて検温などもせず、点滴などの措置ももちろんせず、「今日出す薬使って熱下がらなかったら明日(月曜)近くの病院行ってみてもらって」と言い放ったという。
親としては【一刻も早く苦しむ子どもになにか対処してやりたい】って思いませんか。確かに子どもは40度近くの熱は度々出します。長男も次男も出しました。が、二人の病院(別々のね)は話を聞いてくれた。点滴してくれたこともあるし。何をするしないじゃなくて「プロが話を聞く。そのうえで判断する」というのが大事なんじゃないのって思うんですよ。ところが今日のお医者様はヒアリングはほぼなし。少なくとも「我々/利用者」が「聞いてもらえた」とは思えなかった。その証拠に、「座薬が効かないんです」と言ったにも関わらず、まるきりその「効かない座薬」を出されたわけです。「熱出たら使って」と。おかしくないですか? 出すなら出すで、こっちがある程度納得行く説明をするべきなんじゃないですか?
私たちが求めていたのは「子供の快復(早期の症状の軽減でもいい)」ですよ、たしかに。だから今日の診察の結果出された薬が効くならそれはそれでいい。だけど、それってとんだ殿様商売だと思うんです、私は。だって、「子どもが快復する」のは、言っちゃなんですが、mustなわけです。医療機関に運ばれた子どもを快復させることというのが小児科の存在意義ですよね(もちろんベストを尽くしても救えない事例は枚挙に暇はありませんが、今はその話をしていません)
しかし、それと同時に「親」の方を見るのも小児科の仕事なんじゃないかと私は思うんですよ。まして、休日に(もちろん全ての用事をキャンセルして)前夜ほとんど徹夜で看病してそれでも無理だと判断して心配でしょうがなくなったから休日の当番病院を探して行く親ですよ? 心配に心配を積み重ねてなければ「月曜でいつもの小児科でいいや」ってなりますよね? 常識的に考えてそうですよね?(と私は思うがどうなのか) 小児科医(他の科でもそうですよ)は「ちゃんと聞いて」「ちゃんと説明する」のが仕事だと思っています。それができてない医師が残念ながら少なくないんです。1%とか2%とか数値の話じゃない。「意を決して行った病院がそれ」だったら、その患者・利用者には100%なんですよ。
親の「気持ち(心配とか不安)」を汲み取れないのは「医者」ではなく「医学者」なんです。医者じゃない。そんなことをいちいち気を使っていたら医療崩壊する、負荷が上がりすぎる――なーんて寝ぼけたことを言う方もいらっしゃいますよ、たぶんね。でも、私にしてみれば「それができないで医者をやろうだなんて100万年早い。技術や知識があるなら研究者に転向しなさい」という思いです。「医者」と「医学者」どっちがえらいって話じゃないですよ? どっちもなくっちゃ成り立ちません。要は「向き不向き」とか「考え方(スタンス)」の違いとか齟齬とかそういうものの話。利用者側の「気持ち」に目が向けられてない時点で「ホスピタリティ」は無いですよね。絶対にない。
大変な仕事だと思います。大変勉強されてきたんだと思います。
あなた(医師)にとっては我々は「患者の一人」に過ぎないかも知れない。けどね、我々患者・利用者にしてみれば「医師はあなた」しかいないんです。二つも三つもの病院を常に比較するような時間も体力も金もありません、我々には。まして、夜間休日のように「選択肢がない」状態では、事実上唯一無二の医師なんです。そこで待ち構える医師が「ホスピタリティの欠片もない、思いを理解できない人」だったら、我々患者・利用者はTHE ENDです。命に関わる可能性だってあるし、その結果子どもになにかあったら死ぬまで引きずるでしょうよ?
せめてちゃんと話を聞いてほしかったし、「わかるように」説明してほしかった。わざわざ「わかるように」と書いたのは、もしかしたらプロの知識があればそういうボソボソ説明でも理解できたのかもしれないから。ただ少なくとも私の嫁氏は「はぁ????」でした。
そういう医者は無意識にそういう対応になっているのかもしれませんし、「自分の知識/技術」「病院の設備」に絶対の自信があるのかもしれません。前者ならまぁ勝手に潰れてくれって思います。後者だったら「おまえさん、いつまでも自分の知識を一線級にアップデートし続けることができるの?」という疑問と「おまえさんの病院、いつまでも常に最新設備を入れられるほど儲けることができると思ってる?」という疑問が湧いてきます。
最終的に物を言うのは技術や設備ももちろん大切ではあるにしても、結局の所「ホスピタリティ」が患者・利用者の間で理解され受容され共有されているかに行き着くと思います。それができない「医者」は「医学の研究者」を名乗るべきだと思う。まずは「人の心」が理解できないようでは、正直医者は務まらないと思うのです。
技術屋気質は理解できる。けど、技術を売りにする会社(=病院)をやっていくには、顧客(=利用者)が何を求めているのか・何をしたいのかを理解しなければ話になりません。どれだけ優れたプログラムが作れようと、求められるものは作れませんよね。病院もそれと同じだと思います(巨大な病院でそれぞれ分業できるならともかく)
HOSPITALほど「命」「人生」に近い施設はないわけです。
であるからこそ「俺達がお前たちを助けてやるんだから感謝しろ」ではいてほしくない。
過度なサービスは要らない。が最低限のHOSPITALITYは実践してほしい。
私はそう思うわけです。
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